吉向十三軒の茶道具とは|初代の経歴や作風を徹底解説

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現代陶芸を語る上で欠かせない名手、初代 吉向十三軒(きっこうじゅうそうけん)。現在は、八代目がその伝統を受け継ぎ、現代的な作風の「吉向焼」を制作しています。今回は、初代 吉向十三軒の経歴や作品、八代目となる当代の作風について解説します。

初代 吉向十三軒が開窯するまで

大阪・十三村(現:大阪府大阪市淀川区)の地に開窯(かいよう)し、全国に名をはせた大陶芸家、初代 吉向十三軒(吉向治兵衛)。同氏は伊予国大洲上灘村(現:愛媛県大須市)にて、藩士であった「戸田源兵衛」の長男として生を受けました。

独立して開窯する以前、治兵衛は京都内の窯元にて、さまざまな陶法を学びます。初代 高橋道八(たかはしどうはち)や初代 清水六兵衛(しみずろくべえ)など、京都屈指の名手に師事。時代を象徴する陶工の指導を受けた後、「人目一目につきやすい」という理由で、大阪・十三村に窯場を構えます。

徳川家斉が惚れ込んだ「食籠と金魚鉢」

治兵衛に転機が訪れたのは、33歳(1817年)のときです。後に大坂城代となる「水野忠邦(みずのただくに)」の依頼を受け、第11代将軍「徳川家斉(とくがわいえなり)」に鶴と亀の“食籠(じきろう)”や金魚鉢を献上。家斉は治兵衛の作品を大変気に入りました。

その結果、水野忠邦は「吉向」という窯号と金印・銀印を治兵衛に与え、37歳を迎えた1819年から吉向姓を名乗りました。

功績を認められた治兵衛は、大和国添下郡(現:奈良県山門郡)の「大和小泉城」にて「十三軒・印」を拝領。1827年、号を吉向十三軒と名乗ります。

吉向十三軒は大阪から江戸にかけて、各地の窯場で作品づくりに取り組みます。なお、初代 吉向十三軒に子供はいませんでした。しかし、父親の姉の子である「亀治(かめじ)」を二代目に、実姉の子「與右衛門」を三代目に継がせ、大阪・十三村の窯場を任せています。

八代目 吉向十三軒が手がける茶道具

裏千家御出入方の陶器師として、意欲的に作品を発表している八代目吉向十三軒。八代目は茶碗や菓子器などの茶道具、花入や水指などを手がけていますが、いずれもモダンで洗練された作風が特徴。吉向十三軒が代々受け継いできた、実直で端正、機能美を追求したアプローチは健在です。当代の作風に惚れ込み、茶道具などを収集するファンは少なくありません。

吉向十三軒の茶道具は「なんぼや」が買取します

吉向十三軒が手がける吉向焼などの茶道具は、骨董市場においてける高いコレクター需要があります。文様・肌が美しいもの、状態が良く真贋を証明できる付属品(箱書きなど)があるものは、高価買取が期待できるでしょう。自宅に眠る吉向十三軒の茶道具は、ぜひ「なんぼや」にお持ちください。

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