永楽の焼物|京都の地で長い歴世を誇る京焼の家元

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かつて都のあった京都には、全国各地から優れた職人が集まったこともあり、さまざまな技法を凝らした焼物や陶器が作られてきました。京都で作られる焼物は主に京焼と呼ばれますが、その種類は実に多彩で、これといった限定的な作風がありません。永楽もそんな京焼の家元の一つで、長い歴史を誇ります。今回は、永楽の焼物についてくわしくご紹介します。

樂楽家と並ぶ茶陶の代表格

京都にはいくつもの名家と呼ばれる窯元が存在しますが、特に茶道具を中心に制作する茶陶の代表格が、楽焼で知られる樂楽家と、今回ご紹介する永楽家です。もともと、永楽家は西村姓を名乗っていました。そして、歴代の当主は善五郎を名乗ります。永楽と名乗り始めるようになったのは幕末の頃でした。

また、現在は京都の地でその歴史を紡いでいますが、初代と二代目までは奈良に窯を構えていたとされています。当初は茶碗などの制作が中心でした。その作品は当時から非常に高く評価され、代々技術や作風が受け継がれていきます。

そんな永楽の大きな転機となったのが十代目の時代です。先代の九代目西村善五郎が早世したこともあり、十代目はわずか9歳で西村(永楽)家を継ぐことになります。年齢的に十分な技術を身につけることができていなかった十代目に手を差し伸べたのが表千家でした。その導きによって、これまでの技術の継承はいったん途切れたものの、さまざまな作品を生み出すようになります。

その後、永楽の歴史は途切れることなく、現在まで続いており、日本を代表する焼物の一つとなりました。

華やかで美しい作品の数々

十代目以前と以降では作品の傾向は大きく異なりますが、多くの方が永楽と聞いてイメージするのは、十代目以降の華やかで美しい作品の数々でしょう。完成度の高い色絵などを取り入れ、金沢の良質な金箔(きんぱく)を使用することによって、とても鮮やかな色彩の作品が数多く制作されています。

永楽は幕末の頃になると量産体制を整えて、かなりの数の作品を制作するようになっています。そのため、江戸時代に制作された作品もかなりの数が残されています。実際に永楽の焼物を手にする機会も多いでしょう。

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永楽の焼物はその華やかさや美しさから現在でも高い人気を誇ります。数はかなり多いものの、人気も高いことから買取市場でも高価取引されています。「なんぼや」では最新の相場を使って永楽の焼物をしっかりと査定し。高値での買取を行っています。まずはお気軽にお問い合わせください。

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