昭和を生きた洋画家・刑部人|ペインティングナイフで描かれる日本の風景

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刑部人(おさかべ じん)は、日本の風景を躍動感あふれるタッチで描いた洋画家です。エネルギッシュな彼の絵画は、1978年の没後も多くの人々に親しまれています。今回は、刑部人についてご紹介します。

ペインティングナイフによる巧みな表現が魅力

刑部人は、1906年に栃木で誕生しました。幼少期から絵画をたしなみ、順調に才能を伸ばした彼は、東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部の前身)に入学します。在学中には帝展に入賞。卒業時の成績も優秀で、画家として順調に羽ばたいていきました。

刑部人を語るうえで欠かせないのは、独特な躍動感にあふれるタッチではないでしょうか。ペインティングナイフを自在に動かし、美しい風景を次々と絵のなかに落とし込んでいきました。

この画風は、最初から確立されていたわけではありません。第二次世界大戦を乗り越えた後、一時的なスランプに陥ったなかで、形成されたものといわれています。苦しみながらも描くことをやめなかった刑部人は、次第に確かなフィロソフィーを持って、キャンバスに向かい始めました。

その後も、刑部人は次々と絵画を描き続けます。1978年に病を患って亡くなるまで、多数の作品を残しました。

刑部人の旅暮らしと落合文化村での生活

刑部人の師の一人にあたるのが、著名な画家である金山平三です。彼とともに日本を旅しながら、美しい風景を描いていきました。自らの目で捉えた世界を、豊かな色彩で表現していった刑部人。特に有名なのは渓流を描いた作品の数々です。彼の絵からは、水の豊かさや空気の清らかさなどを感じられます。

また、1931年に結婚してからは、落合文化村に居を構えます。この暮らしのなかで、刑部人が好んで描いた題材の一つがバラの花です。隣家である林芙美子邸で咲いたバラをモチーフに、「ばら(マジョリカ壺)」「ばら(イタリア壺)」など、多くの作品を描きました。ほかにも、刑部人は「菊」「洋蘭」「牡丹」など、さまざまな花を題材にしています。

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