日本画家・上村淳之|余白に四季を感じさせる花鳥図の第一人者
上村淳之(うえむらあつし)は美人画の名人であった祖母・松園、日本画家である父・松篁と三代続く芸術一家の出身で、花鳥画の第一人者とされる人物です。上村淳之の生い立ちやその功績、作風・作品についてご紹介していきます。
上村淳之の生い立ち
1933年、上村淳之は日本画家・上村松篁の子として生まれました。祖母は美人画として有名な上村松園。芸術一家であり淳之もまた非凡な才能を受け継いでいました。
幼き頃から才能・感性にあふれた上村淳之は京都の特別科学学級に籍をおいていたとされています。特別科学学級は戦時中末期に設立された優秀な人材育成の場であり、英才教育が施された場所です。
そのこともあり、東京工学部を目指すことになるものの、父そして祖母の影響もあってか画家として身を立てたいと決意します。しかし画家としての苦悩を知る父・松篁と母は反対をしたのだそうです。
ですが、その反対を押し切る形で独学にて京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に入学します。
上村淳之の功績
上村淳之は両親の反対もあったためか実家に居づらくなり、祖母が暮らしていた奈良の空き家に引越し、創作活動を進めていきます。
在学中の1956年に新制作協会展初入選、1978年・1980年には創画展にて受賞しその名を高めていきます。
1984年には京都市立芸術大学教授へ就任し1997年に同大学美術学部長、1999年には同大学副学長および名誉教授に就任するなど、若き学生の育成にも尽力しました。
その後も作品製作を続け、2011年に京都文化賞特別功労賞を受賞。2013年には文化功労者に選出、2020年には旭日中綬章を受章しました。
優しさあふれる鳥と余白への意識
上村淳之は現代日本画壇における花鳥画の第一人者です。美人画の名人であった祖母・松園、同じく花鳥画を得意とした父・松篁らの美の遺伝子を受け継いだ淳之は、その才能をいかんなく発揮した画家といえます。
幼い頃から父・松篁が飼っていた小鳥たちと過ごし間近で触れ合ってきた淳之にとって花鳥画を描くことはごく自然なことでした。また、上村淳之が描く鳥は優しさにあふれていると評されます。幼少期より小鳥たちと暖かみある触れ合いをしてきたからこその優しさなのかもしれません。
また、上村淳之は「余白」を大切にしているとされます。具体的に描かない余白にいかに四季を感じさせるか、その先に広がる森羅万象に自身がどのように想いを託すのかを意識しているのだそうです。
「雁金」「四季 花鳥図」「緋縅綬鶏」など名作とされる上村淳之の作品にはそのような想いが込められています。
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上村淳之は花鳥図の第一人者として活躍し、文化功労者への選出や旭日中綬章を受章した日本画家です。淳之の作品は市場でもかなり人気が高く、巧みな空間表現の中に優しく描かれた鳥の花鳥画は、高値がつくことも珍しくありません。
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