三浦竹泉の茶道具|江戸時代から現代まで続く窯元

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三浦竹泉は日本の京焼(清水焼)を代表する窯元です。

江戸時代に誕生し、ヨーロッパの色彩などを取り入れることで、京焼の改良に大きな貢献をしたことでも知られています。今回は三浦竹泉の茶道具について紹介します。

西洋の色彩を日本磁器に応用

初代三浦竹泉は1854年に京都で生まれ、3代高橋道八に師事した後、1883年に独立しました。

京焼の改良に大きく貢献した人物として知られており、西洋の色彩を日本磁器に応用した釉薬「透明紋」の開発者でもあります。さまざまな陶磁器を制作していますが、なかでも人気が高いのが茶道具です。昔ながらの京焼の伝統に新しい手法を取り入れた茶道具は当時から高く評価されました。初代三浦竹泉は当時の文人らとの交流があり、漢学にも造詣が深かったと言われています。

これらの要素も伝統の中に新しい感覚を取り入れるという作風に影響したのでしょう。

伝統にとどまらない作風

そもそも京焼には特定の様式や技法などが存在するわけではありません。かつての都であった京都には全国から優れた職人が集まっていたこともあり、自然とあらゆる技法が融合したと言われています。初代三浦竹泉もそんな環境の中で、これまでの伝統的な京焼に新しい要素を加え、優れた茶道具を数多く生み出しました。

その作風は2代目以降にも受け継がれており、現在でも魅力的な茶道具を生み出し続けています。

創作の才に富む2代目、巧緻を極めた4代目

2代目三浦竹泉は、父である初代に師事して茶道具の制作をはじめました。歴代の三浦竹泉の中でも特に創作の才に優れていたと言われており、若くして名工と呼ばれています。早世したこともあり、多くの作品が残されているわけではありませんが、その優れた作品は現在でも高い人気を誇ります。

4代目三浦竹泉は巧緻を極めた作家として高く評価されている人物です。作風はとても優美で、京焼の伝統を守りながら新たな価値を創造しました。

常に新しい感覚を取り入れ続けてきた三浦竹泉ですが、決して奇をてらったものではなく、極めて洗練されています。それだけに現在でも骨董として高く評価され、高値で取り引きされています。

京焼の伝統技法と新しい感覚を融合した作品の数々はこれからも多くの人々を魅了し続けることでしょう。

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京焼作家の中でも特に高い人気を誇る三浦竹泉その茶道具は買取市場においても人気が高く、高値で取り引きされています。三浦竹泉の茶道具をはじめとした作品をお持ちの方は「なんぼや」の査定でその価値を確かめてみてはいかがでしょうか。まずはお気軽にお問い合わせください。

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