加賀藩の御用釡師として活躍した宮崎寒雉|代々受け継がれる伝統の窯肌

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宮崎寒雉は、2020年で十五代を数える茶道釡師の家系です。その歴史は加賀藩の御用釡師となった初代寒雉に始まり、代々にわたり魅力的な名品を残してきました。今回は初代の活躍に目を向けながら、伝統ある特徴や数々の名品についてご紹介します。

加賀藩主に才能を認められた初代寒雉

宮崎寒雉は、加賀藩主に才能を認められ御用釡師となった茶道釡師の家柄です。

1633年頃、初代の寒雉は金沢で鋳物業を営む宮崎家に生まれました。もともと宮崎家は代々にわたる鋳物師であり、父の宮崎彦九郎吉綱は加賀三代藩主前田利常の御抱鋳物師であったといわれています。

初代寒雉は、京都で修行を積みました。釜づくり仙叟宗室に学び、そこで授けられた名が寒雉菴号です。一般には名越三昌浄味の門人とされますが、師匠については諸説あります。

京都での評判が加賀藩に伝わると三代藩主前田利常により金沢へと呼び戻され、今度は藩御用釡師として召し抱えられました。ここから宮崎寒雉の名は現在まで受け継がれ、数々の名品が残されます。

現在まで受け継がれる釜肌の風合い

宮崎寒雉が代々にわたり受け継いできた釜は、初代が生み出した侘びの趣の強さが特徴的です。

初代の作品は、薄作の傾向が見られます。釜肌は砂肌、焼抜はあっさりした焼肌に皮を残し、蓋も焼抜で薄い仕上がりです。口際や鍔付には巣を入れ、撮には虫喰があります。

色と形ともに、すっきりした風合いの釜肌が大きな特徴です。代々の寒雉は初代からの特徴を継承しながら、独自性を追求しました。いま「幽斎」として活躍する十四代目は、どっしりした色合いが特徴的です。

初代が生み出した伝統を守りながら独特の魅力もある代々の作品は、いまも多くの茶人から愛され続けています。

初代寒雉が残した名品たち

加賀藩に御用釡師として仕えた初代の宮崎寒雉は、釜にとどまらず多くの名品を残しました。

初代寒雉が手がけた釜は、柏葉釜、鉈釜、乙御前釜、霰釜、段々釜、大講堂釜、責紐釜や茶飯釜と種類が多彩です。釜以外に数々の仏具類もつくり、金沢市周辺のお寺には銅鐘や三具足が伝えられています。

妙典寺に伝わる作品は、「雲龍文花瓶」です。施主として、「宮崎彦九郎義一」の名が見られます。彦九郎は初代の通称義一名前です。乗光寺の梵鐘にも、同じ名が記載されています。

初代には男子がなく、娘の茂女に婿養子を迎えました。宮崎寒雉には350年以上の長い歴史があり、骨董の買取では高評価を得られると期待できます。

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