松本楓湖の日本画|師の教えを忠実に守り伝統の画風を継承した画家

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伝統ある歴史画・人物画の次世代継承に大きく貢献した松本楓湖(まつもとふうこ)。幼い頃から才能を発揮し、師についた後はその教えを忠実に守り、歴史人物画の分野で多くの作品を手がけました。現代でも一流の日本画家として評価されています。

幼い頃に発揮した天性の画力

松本楓湖(1840~1923)は、江戸時代後期生まれ・茨城県出身の日本画家です。幕末から明治・大正にかけて活躍しました。
漢方医の家に生まれ、幼少より東洋医学や漢学に触れて育ちます。しかし楓湖が深い関心を示したのは医学でも漢学でもなく日本画でした。少年時代の楓湖の画力は同世代と比べ抜きんでていたといわれます。家を継いでほしかった父もそこまでの腕前ならと、息子の画家志望の道を許し、楓湖は14歳のとき江戸日本橋の画塾に入塾するわけです。
入塾して3年後、塾長である沖一嵯が亡くなったために、彦根藩の御用絵師だった佐竹永海のもとで画を学び直すことになります。時は風雲急を告げる幕末、尊皇攘夷運動に身を投じるなど複雑な経過をたどりますが、画家としての情熱が消えることはありませんでした。

画家人生を変えた師・菊池容斎との出会い

明治維新と同時に楓湖の画家人生も落ち着きを取り戻し、永海のもとで創作に打ち込みます。このときすでに楓湖の日本画の腕前は相当なものでした。そんな楓湖にとって転機だったのが、歴史人物画で名をはせた菊池容斎との出会いです。歴史上の人物や名場面を巧みに描写する技法を容斎から学び取り、それを契機として楓湖の画力はさらに飛躍を遂げました。同時に自分が目指すべき芸術、確立すべきスタイルが定まります。容斎との出会いが画家楓湖のその後を決定づけたのです。
また、私塾の創設や、日本美術界の改革を目指す新団体の設立など、教育者・指導者・改革者としての活動にもめざましいものがありました。伝統を重んじた楓湖ですが、日本画のさらなる発展を目指してさまざまな活動に意欲的に取り組みました。

師にならい、歴史人物画の佳作を多く残す

松本楓湖の作品には師である菊池容斎の影響が色濃く表れています。師の影を追うように歴史画や人物画を多作し、この道における代表的な作家となりました。
『武田二十四将図』『天照大神と須佐男命』『神変大菩薩渡唐之図』『花籠と幽霊』『蒙古襲来・碧蹄館図』『七卿落図』など、多くの佳作を発表しています。その画風は容斎の図様を基本としながらも、写実を採り入れるなど独自の工夫を凝らした作品にも注目です。

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