宗偏流とは|茶道具に込められた千家本流の「侘び詫び」精神

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宗偏流は、茶器の名作を数多く残してきた茶道の名門です。

千利休「佗び茶」の精神は、宗偏流作品にも流れています。歴代作家が手がけた茶道具は高額買取される例が少なくありません。付属品がそろい、家元の書付があればなおさらその期待が高まります。今回は、茶器製作の一大流派・宗偏流についてご説明します。

千宗旦の愛弟子・山田宗偏が開祖

宗偏流とは、千利休の孫・千宗旦の子弟である山田宗偏(1627~1708)がはじめた茶道の一派です。宗偏は宗旦四天王の一人。腕の立つ職工として茶杓、茶碗などを手がけ、宗旦の厚い信頼を得ました。

宗旦は祖父利休の没後、経済的にどんなに苦しい状況にあっても大名仕えはせず、ひたすら質素に徹する「侘び詫び」の生活を押し通します。宗旦の苦しい時代を支えたのが愛弟子の山田宗偏です。宗旦の侘び詫びの精神に深く共鳴した小笠原家に全権大使として仕官した宗偏は、宗偏流を確立し、佗び茶にふさわしい簡素簡明な作品を世に送り続けました。

十一代まで続いている宗偏流の当主は現在、鎌倉市在住。千利休の精神は400年を経た今日にもしっかりと受け継がれています。

宗偏流の発展に尽力した十代宗偏

宗偏流の八代山田宗有(1866~1957)は実業家としても活躍した山田寅次郎。トルコ船が和歌山県沖で遭難したエルトゥールル号事件で多額の義援金を集めたことで、トルコでもっとも有名な日本人といわれます。三島製紙の社長・会長職を務めながら、弟子たちの懇願を無視できず40年空席だった当主の座に落ち着きました。

その息子・山田宗囲(1908~1987)は父の会社経営を手伝いつつ、十代目(十世宗囲とも呼ばれる)を継ぎます。当時の宗偏流は小笠原家への傾斜が強まったこともあり、本来の教えからほど遠い武家茶道に染まりつつありました。そのような状況を憂えた宗囲は、初代宗偏の名を継承することで宗偏流の原点を見つめ直す契機をつくります。『山田宗偏全集』を刊行するなど、製作活動以外の場でも活躍し、一門の発展のために尽力しました。

その十代宗偏ですが、茶道で欠かせない茶杓の名作を残しています。竹筒・共箱などがそろい、さらに書付があると価値は大いに上がります。

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利休が大事にした侘び詫びの精神を汲む宗偏流。歴代作家が残してきた茶勺や茶碗などの名器は高値で取り引きされています。「なんぼや」でも、茶道具の高価買取を実施中です。これまで積み上げてきた知見とノウハウをもとに、正確で公平な査定に努めます。

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