野々村仁清の京焼|赤色の絵付け技術を大成させた名工

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安土桃山以降、京都でつくられた焼き物を指す「京焼」。京焼は、白地にさまざまな色で絵付けをしたものが有名。その原型をつくりあげた人物に、「野々村仁清(ののむらにんせい)」がいます。

同氏は江戸前期の17世紀後半に活躍した陶芸家。近代陶芸の原点であり、頂点である人物といっても過言ではありません。そこで今回は、京焼の名工・野々村仁清の略歴や作風、作品の特徴について解説します。

京焼に鮮やかな色彩をもたらした技術

野々村仁清は、江戸前期に現在の京都府で生まれました。その後、若くして京都のみでなく、愛知県の瀬戸などで修行を積んで本格的な作陶を学びます。

1647年頃、仁和寺(京都洛西)の門前に、御用窯を開きます。御用窯とは、全国の藩が焼き物などの献上品をつくるために設けた“藩窯”のことです。野々村仁清は、御用窯で京焼の主流である茶碗や茶壺などの茶道具を数多く制作します。

優れた轆轤(ろくろ)技術を駆使した作品は、当時より非常に高い評価を得ていました。その造形美に魅了され、野々村仁清の茶道具は公家や大名も愛用したとされます。

また、野々村仁清の作品を語る上で、突きつめた絵付け技術が外せません。当時、鮮やかな赤色の絵付けは困難とされていました。しかし、野々村仁清は、赤をはじめとするさまざまな色の絵付けに成功。この技術は京焼の歴史に大きな影響を与えました。

野々村仁清の作風とは

野々村仁清の作品は、高い轆轤技術による造形と、美しい色彩を駆使した絵付けが特徴的です。

特に晩年の作品は、絵付け技術がより洗練された印象です。具体的には、唐物や瀬戸などの写しに加え、狩野派など当時の画派の手法を取り入れた優美な絵付けが施されています。

さまざまな茶道具を制作してきた野々村仁清ですが、特に高い人気を誇るのが茶壺です。鑑賞者を引き込む正確で美しい絵付けにより、重要文化財に指定されている作品も少なくありません。

現在、野々村仁清の作品は、京焼の歴史を語る上で欠かせないものとされます。多くの美術館などに展示されているため、機会があれば間近で鑑賞してみることをおすすめします。

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