児玉幸雄が描くヨーロッパの情景の特徴

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日本の洋画家として、さまざまな作品を世に送り出してきた児玉幸雄。彼の生み出す作品には、温かみと優美さがあり、亡くなってから30年ほど経過した今でも多くの方に愛されています。今回は、実力派の風景画家、児玉幸雄についてご紹介します。

大阪出身の画家 児玉幸雄

児玉幸雄は、第1次世界大戦中の1916年、大阪府大阪市に誕生しました。20歳ごろから洋画家である田村孝之介に師事し、1992年に亡くなるまで、さまざまな絵画を描き続けました。
児玉幸雄の名が広まるきっかけになったのが、1937年の第24回二科展です。出品した「赤い背景の人形」が入選し、その後も数多くの賞を受けています。有名になって以降は、日本各地で個展を開き、実力派として名をはせました。

婦人像や人形を数多く描いていた初期

風景画家として知られる児玉幸雄ですが、画家として活躍し始めた初期の作品には、婦人像や人形を描いたものが多いことをご存じでしょうか。「赤い背景の人形」「並ぶ人形」などが代表的な例です。
児玉幸雄は第1次世界大戦中に生まれ、関西学院大学卒業後には入隊も経験していますが、生み出す作品にはネガティブな感情や暗さが感じられないのが特徴です。明るく温かい印象の作品が多く、見た人を優しい気持ちにしてくれます。

風景画家へ転身するきっかけ

婦人像や人形を多く描いていた児玉幸雄が、風景画家へ転身するきっかけになったのが、1957年の渡欧です。フランスを訪れた児玉幸雄は、異国の人々の活気や情景に感銘を受け、以降は欧州の広場や市場の風景を描くようになっていきます。
その後、日本橋三越や大阪阪急百貨店、日動画廊などで個展を開き、欧州をモチーフとした風景画が高い評価を受けました。代表作は、「街角のレストラン」「ムフタールの広場」「バーゼルの朝市」などです
作品の対象が婦人像や人形から風景へと変わっても、児玉幸雄の魅力はそのまま引き継がれています。淡いカラーをベースとしながらも、随所に使用されている差し色が、元気で活気のある印象を与えます。機会があれば、一度鑑賞してみてはいかがでしょうか。

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風景画家として名をはせた児玉幸雄の作品は、依然として高い人気を誇り、買取市場において高値で取引されるケースも珍しくありません。お持ちのコレクションのなかに、児玉幸雄の作品がある場合は、一度査定に出して現在の価値を確認してみてはいかがでしょうか。

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