森田十雨の高麗茶碗|古陶のおもむきを残す作陶の名手

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貪欲に作陶へ打ち込み続けた鳥取の陶芸家、森田十雨(もりたとうう)。伊羅保茶碗をはじめとする、高麗茶碗の作家として根強い人気を誇ります。今回は、森田十雨の手がけた茶碗の種類や、特徴についてご紹介します。

高麗茶碗の名手 森田十雨

森田十雨(もりたとうう)は、高麗茶碗の作り手として知られる陶芸家です。1922年、鳥取県の三朝町にて誕生しました。生真面目な性格であったといわれ、陶芸家になってからは、ひたすらろくろに向かい続けていたそうです。

最初の頃は独学で器をつくっていましたが、1952年から楠部弥弌の指導を受けることとなります。著名な陶芸家である楠部弥弌から受けた影響もあり、その後は現代日本陶芸展や日展、現代工芸展など、さまざまな展覧会にて賞を受けました。

精力的に作品を生み出し続けてきた森田十雨が変化を迎えたのは、1967年のこと。高麗茶碗の魅力を感じた彼は、生涯をかけて作陶に取り組むことになりました。1982年には、本名の森田統名義で「朝鮮茶碗と私」というタイトルの本を出版しています。出版から3年後、病気のために亡くなりましたが、現代にいたるまで根強い評価を受けている陶芸家です。

高麗茶碗の作陶に打ち込んだ森田十雨

森田十雨の名を知らしめたのが、伊羅保(いらぼ)茶碗の作陶です。伊羅保茶碗は、江戸時代初期に誕生したといわれる高麗茶碗の一つ。全体的に薄く、砂粒の手触りを感じられるのが特徴です。

また、森田十雨は、伊羅保茶碗をはじめ、「柿の蔕(へた)」や「斗々屋(ととや)」などの古い時代に生まれた高麗茶碗を写すことを得意としていました。柿の蔕茶碗は、李朝初期に生み出されたとされています。日本へ伝わったのは15世紀以降のようです。名前の通り、柿の蔕を裏返したような見た目が特徴です。ただ、形ではなく独特の土の色から、この名前がついたという説もあります。

斗々屋茶碗の名前は、「魚屋(ととや)」にて見つけられたことから付けられたといわれています。赤みのある色合いが基本ですが、まれに青斗々屋といわれる色彩のものも見られます。

森田十雨の作品は、上記の茶碗が生み出された時代のものとみまがうほどの出来栄えです。もちろん、見た目だけでなく、手になじむ使い心地は、茶道をたしなむ方にはたまらない茶碗といえるでしょう。

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