日本画家・田渕俊夫|苦悩の末に才能を開花させた風景画の巨匠
田渕俊夫は日本画家として数多くの風景や植物をテーマにした作品を発表してきました。今回は田渕俊夫の生い立ちや若き日の苦悩、才能を開花させた後の活躍ぶり、作風について解説します。
田渕俊夫の生い立ちとその名が知られるまでの苦労
田渕俊夫は1965年に東京市江戸川区で生まれました。
若い頃から絵に興味を持ち、東京藝術大学美術学部日本画科に一浪の末に入学します。田渕によれば「藝大日本画科に1年浪人し、ビリから2番で入学した。そして在学中は展覧会に応募しても落選を繰りかえした」とのことでした。
そして1965年に東京藝術大学美術学部日本画科を卒業。同時に同大学院へ入学します。1966年に製作した「水」が大学の買い上げとなり、実力が評価されるようになっていったのです。
そして1967年に東京藝術大学大学院を修了し、同年の第22回春の院展に出品した「陽」が初入選します。
卒業後にナイジェリアやイタリアへ遊学し、帰国後の1968年、再興第53回院展でも「ヨルバの神々」にて入選を果たし、美術界にその名が知れ渡るようになります。
才能を一気に開花させた田渕俊夫の活躍
1970年、田渕俊夫は日本美術院院友となり、日本画家・平山郁夫に師事してさらに研さんを積んでいきました。また、同年には愛知県立芸術大学美術学部助手へ就任、1974年には同大学講師となります。
大学にて教鞭をとりつつも作品を製作し続け、1971年には第26回春の院展出品の「秋宴」が奨励賞、第15回シェル美術賞展では「灼熱の詩」が佳作賞を受賞します。そして1988年、第43回春の院展に出品した「緑風」が文部大臣賞を受賞し、名実ともに現代を代表する日本画家のひとりとして認知されるようになったのです。
教育者や組織の要職としても活躍し、2005年には東京藝術大学理事・副学長、2006年には日本美術院理事、2009年に東京藝術大学名誉教授、2011年には日本美術院同人・代表理事となりました。
風景と植物への敬意を感じさせる作品たち
田渕俊夫は植物や風景画を得意とし多くの作品を残している日本画家です。植物画では愛らしい姿のなかにある生命のたくましさを表現し、風景画では悠久の時間に対する田渕の敬意と感動が表されていると評されています。
田渕が風景や植物を中心に描くようになったのは愛知県立芸術大学助手に就任した1970年頃からです。東京から愛知に移り住み、身近にあった植物の成長に、永遠に続きつながる生命の尊さや、神秘性を感じ取ったからだとされています。そこに深い歴史を感じ、畏怖の念を持つようになったようです。
学生時代はその才能がなかなか開花せず苦労した田渕でしたが、それでも諦めずに筆を執り続け、自らの感性を大切にした結果が現在の高い評価につながっているといえます。
田渕俊夫の日本画は「なんぼや」にお持ちください
田渕俊夫は風景や植物をテーマにした作品を得意とする日本画家です。伝統的装飾性と精神性を共存させた作品は人々の心をつかみ、高い評価を受けています。「なんぼや」でも田渕俊夫の日本画は高価買取対象です。田渕俊夫やその他の有名作家作品をお持ちでしたら、ぜひ当店へお気軽にお持ちください。