日本画家・児玉希望|天才にして努力家が生み出した名作とは
児玉希望(こだまきぼう)は、幼きころから絵の才能を持ち合わせ、晩年になっても研究熱心であった日本画家です。今回は児玉希望の生い立ちやその功績、作風と有名作品を紹介します。
児玉希望の生い立ち
児玉希望は1898年、広島県高田郡来原村原田(現・安芸高田市高宮町原田)に生まれました。幼き頃から才能があり絵の手ほどきを受けていたとされ、13歳のころには伝統的な技法を用いた写実的な院体画による武士図を製作していたとされます。
18歳で上京し日本画家・尾竹竹坡に弟子入りし「希望」という号をつけてもらいます。次いで1918年に日本画家・川合玉堂の門下生となり、才能に磨きをかけていきました。
日本画界における二人の巨匠に師事したことは間違いなく児玉希望の才能を伸ばしたことは間違いありません。
児玉希望の功績
1921年になり、芸術家の登竜門である帝展に「夏の山」を出品し初入選を果たします。7年後の1928年に出品した「盛秋」は初の特選となりました。「盛秋」は日本画家でありながら、洋画の手法を取り入れたものであり、希望の才能と探究心が形となった作品です。
第8回日展に出品した「室内」は日本芸術院賞となり、それがきっかけで日本芸術院会員となりました。以後も新文展や日展へ意欲的に作品を出品していきます。
戦後は社団法人となった日展の常務理事に就任し美術界発展のために活躍します。それと同時に、伊東深水や矢野橋村らとともに「日月社」を結成。私塾系作家たちの育成にも尽力していたそうです。
1970年には勲三等旭日中綬章を受章しその実力・才能とともに功績が世に認められました。
児玉希望の作風や作品たち
児玉希望は若くして非凡な才能を発揮した日本画家です。しかし才能に甘えることはなく、常に新たな表現方法や技術の探求に余念がなかったとされています。
事実、児玉希望の作風は初期と晩年ではまったく違います。当初はもともとあった才能を活かし、色彩センスが光る作品が多くありました。しかしあるとき希望は色使いだけで表現するのは単調であり、依存してしまうことは良くないと感じます。
そこから、南画・西洋画・歴史画・仏画・水墨画など古今東西さまざまな技術を独学で学び、59歳のときには1年ほどヨーロッパに渡って勉強をしつつ水墨画展を開催していたそうです。
こうした試行錯誤の末に生み出された代表作が「仏蘭西山水絵巻」。水墨画でありながら写実的に光と影を表現することでヨーロッパの山水を情緒的に描き出した名作です。
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児玉希望は、才能に慢心するのではなく、常に新しい表現や技術を研究し、自分のものにした努力家でありました。日本画家として高名なことはもちろん、人間として尊敬すべき人物といえるでしょう。
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