日本画家・伊藤小坡|シャープで華麗な美人画

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伊藤小坡(いとうしょうは)は美人画を得意とし、シャープな線描が特徴的な日本画家です。今回は伊藤小坡の生い立ちや略歴、初期と後期で違う作風について解説します。

伊藤小坡の生い立ち

伊藤小坡は1877年に三重県度会郡宇治浦田町(現伊勢市宇治浦田町)にて生まれました。家は猿田彦神社の宮司であり、伊藤小坡はその長女となります。宮司の娘であることから、幼少の頃より古典文学や茶の湯、柔術などを教養として学びます。14歳となる1891年頃からは新聞小説の挿絵を竹紙に模写して楽しむなどしていたそうです。
そんな幼少期を過ごした伊藤小坡が本格的に絵を学ぶのは18歳の頃。伊勢の日本画家で伊勢神宮の御師でもあった磯部百鱗に師事します。さらに1898年には画家として身を立てる決意をして京都に出て、磯部百鱗の紹介もあり森川曽文に師事。しかし曽文が病に倒れたことで、「楳嶺門下の四天王」と呼ばれた谷口香嶠に師事し「小坡」の雅号を得ます。その後、1903年に第5回内国勧業博覧会へ「伊賀の局」を出品し、1905年には谷口香嶠の門下生と結婚し三人の子を生み育てます。

一躍脚光を浴びる伊藤小坡

結婚し母となった伊藤小坡ですが、創作活動は続けていました。そしてついに、1915年第9回文展にて「製作の前」が初入選し三等賞となります。続けて第10回文展で「つゞきもの」が入選し、一躍脚光を浴びることとなりました。時の人となった伊藤小坡は、1917年に貞明皇后の御前で揮毫を行い、日仏交換美術展に出品した作品「琵琶記」がフランス政府買い上げになるなど、大活躍をしていきます。その後、日本画家・竹内栖鳳と親交を持ち、竹杖会へ参加。「秋好中宮図」「伊賀のつぼね」「幻想」などの代表作を世に送り出していきます。

初期と後期でまったく違う作風に

伊藤小坡は幼少期から芸術方面に才能があり、さらに多くの優れた師に恵まれたことで開花していきました。作風としては、時期により大きく二つにわけることができます。初期は結婚から文展での初入選、昭和初め頃までとされ、母として妻として描く暖かみのある作風でした。柔らかな運筆が特徴的で、母性を感じる作品が数多く見られます。
後期は昭和3年以降、竹内栖鳳の竹杖会へ参加してからです。特徴であった柔らかく温かみある運筆は、この頃からシャープで繊細な線描となっていき、テーマも歴史や物語に出てくる女性を描くようになります。この頃に描かれた「秋好中宮図」「伊賀のつぼね」「幻想」は、美人画の大家・伊藤小坡のまさに代表的な作品といえます。当時、これらの作品で入選等はありませんでした。しかし現在では評価が高く人気となり、後期の作品は高値にて売買されています。

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