義を重んじた英傑・徳川家康|人物像やエピソード・名言を探る
江戸幕府の開祖であり徳川家の始祖である徳川家康は織田信長や豊臣秀吉と並び戦国時代の三英傑と称されています。家康の人物像や性格、残したエピソードや名言をご紹介していきます。
徳川家康の人物像や性格
徳川家康は1543年に松平広忠の嫡男として岡崎城にて誕生しました。誰もが知るのちの三英傑の1人であり、徳川将軍家の始祖ですが、幼少期は今川家の人質として駿河国にて人質生活を送っていました。その後、織田信長が今川義元を討ち、岡崎城に帰城して独立の道を歩んでいきます。
三英傑の織田信長・豊臣秀吉に後れを取りつつも、最終的には260年続いた徳川幕府の始祖として天下を取った傑物です。
「鳴くまで待とう時鳥」で知られるように忍耐強さが強調されますが、幼少期は血気盛んで負けず嫌いの一面もあったと言われています。熱い信念や気持ちを上手にコントロールし、タイミングを見計らう能力が高かったのかもしれません。
徳川家康の逸話・エピソード
徳川家康は義を重んじ、家来のことを大切にした人物とされています。実際にそのことがわかるエピソードは数多く残されています。
関白となった秀吉から「自慢の宝物は何か」と問われたときには「命を賭けてくれる500騎の配下です」と答えたそうです。家来たちをかけがえのない自慢の宝と誇らしげに語るのは、家来を大切にしていたからに他なりません。
ほかにもさまざまな義を重んじ家来を思い大切にした家康の人柄がわかるエピソードはたくさんあります。
徳川家康が残した名言
また、家康は幼い頃の人質生活の経験からか、内に秘める志と忍耐強さを感じさせる名言も数多く残しています。
「戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。」はその最たるもので、まさに耐え忍んだ末に天下を取れたのです。
「人は負けることを知りて、人より勝れり。」「滅びる原因は自らの内にある」「早まって相手の肚」なども耐えることで戦の機微を感じ取ろうとした家康らしさがあります。
逆に「怒ったときには、百雷の落ちるように怒れ。」などは、内に強い感情や志を秘めている、家康のもう一つの顔が垣間見えます。
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徳川家康は徳川家の始祖・江戸幕府の開祖として多くのエピソードや名言があり、映画・絵画・本やいまでは手に入らない古書などの作品に残されています。また、家康が使っていた茶器などの品々は美術品・骨董品として、買取市場でも注目度の高いものとなっています。「なんぼや」では徳川家ゆかりの品はもちろん、関連する古書、絵画、そのほか、さまざまな骨董品を適切に鑑定し高値で買取いたします。骨董の買取をお考えでしたらぜひ「なんぼや」へお持ちください。