掛軸の傑作も多い画家・柴田是真の生い立ちと功績
日本画の大家として知られる柴田是真(しばた ぜしん)には、掛軸の傑作もあります。蒔絵や屏風絵の分野でも活躍し、有名博覧会で賞も獲得。その名声は世界にとどろくほどです。国内はおろか、アメリカやイギリス、ドイツの美術館にも所蔵される柴田是真の作品は、国内外で高額買取の可能性を秘めています。こちらでは、柴田是真の生涯や功績についてご紹介します。
掛軸作家・柴田是真の生い立ち
柴田是真(1807~1891)は、江戸時代の天保・弘化期から幕末、明治時代の初期にかけて活躍した画家、蒔絵師、掛軸作家です。江戸の出身で、生家は越後国で宮彫師を務めた職人の家でした。
父の影響で幼い頃より絵画や彫刻といった芸術分野に深い関心を示し、豊かな感性を育む土壌にも恵まれました。11歳で古満寛哉に師事して蒔絵を、16歳で鈴木南嶺に師事して日本画を学びます。京都に遊学したときは岡本豊彦の下で四条派の絵を学びました。若いときから蒔絵と絵画の基礎をたたき込まれた是真は早くに頭角を現し、浅草東本願寺からの依頼での障壁画制作に取り組むなど、着実に作家としての地歩を固めていきました。
ウィーン万国博覧会に出品、世界的名声を博す
蒔絵や絵画の先輩たちから積極的に技法を学んだ是真は、次第に独自の技法を確立していきます。同時に、松村景文や森徹山、和田呉山、田中日華といった作家たちとも交流を重ね、刺激的な環境に身を置いて芸術家としての感性と技術を磨いていきました。
創作活動の傍らで国学や漢学を学ぶなど、学問にも非常に熱心で、その教養の深さが絵画や蒔絵、額絵などの制作に大いに生かされたのは言うまでもありません。34歳のときに手がけた王子稲荷神社奉納作品「鬼女図額面」は是真の出世作といってよく、高い評価を得てその名を決定的なものとします。
1873年開催のウィーン万国博覧会出品「富士田子浦蒔絵額面」で賞を獲得。是真の名は日本を飛び越えて世界にまで響き渡るようになります。以後、博覧会への出品、皇居の壁画制作、帝室技芸員任命、日本漆工会設立など、創作以外にも多方面にわたって活躍しました。
独特の画法による掛軸は「なんぼや」で高価買取の可能性あり
「猫鼠を覗う図」「月下布袋図」など、独特の技法と繊細なタッチ、洗練された画風で数多くの掛軸作品を生み出した柴田是真。国内外で高い評価を得てきた作家の掛軸だけに、買取市場で高額取引されています。
買取専門店の「なんぼや」では、これまで柴田是真の作品はじめ、たくさんの掛軸を査定・買取してきました。なかには高額となったケースも少なくありません。ご自宅にすぐれた掛軸がございましたら、ぜひ一度査定に出してその価値をお確かめになることをおすすめします。