茶碗師・楽吉左衛門|楽焼を開発して多くの名品を遺す
楽焼の茶碗には名品が多いですが、その先駆者となったのが楽吉左衛門です。希代の茶碗師は千利休との出会い、楽焼を開発。
以後、その技術は代々継承され、400年以上にわたって詫び茶の意匠魂を伝え続けています。今回は、そんな楽吉左衛門についてご紹介します。
千家十職・楽焼の元祖
楽吉左衛門(らく きちざえもん)は、楽焼茶碗の茶碗楽焼を手がける楽家が代々襲名する名称で、千家十職の一門です。初代は16世紀の戦国時代に活躍、現当主は十六代目で、実に400年以上の歴史を誇ります。
楽焼とは手捏(てづくねつく)や箆(へら)削りでかたどられた茶碗のことで、主に黒・赤の釉薬を用いて焼く軟質施釉陶器技法です。戦国時代の楽家発祥といわれます。
初代の長次郎(?~1589)は、白釉や黒釉を使用した茶碗の製作に技量を発揮して注目を集めます。楽焼は利休との出会いで生まれたといわれていする説もあります。この初代楽吉左衛門の黒楽茶碗は現代でも大変な人気を誇り、高額買取の対象です。代々の作品は楽茶碗の黒楽のほか、赤楽などの焼き物に多くの買い手がついています。
二代・三代と躍進が続き四代目でさらに盛運
楽家初代の長治郎で楽焼の基礎が完成。後を継いだ二代・三代はこの基礎を生かして楽焼をさらに発展させたことで知られます。特に三代目は独自の技術を開発してこれまでにない独特な文様を描出。楽吉左衛門の名を広めました。
三代目の長男で、四代目楽左衛門を襲名した佐兵衛がさらに家業を盛り立てます。父の華やかで独創的な作風の影響を受けつつ、初代の長次郎が利休と目指した「詫びの境地」に立ち返り、上品で落ち着きある作品を世に送り出していきました。
初代の再現と評されるほど四代目の技術力は高く評価され、三代目に劣らぬ名声を勝ち得たのです。楽薬焼の名を広く知らしめたことにより、紀州徳川家に献品するなど栄誉ある仕事にも恵まれました。
伝統とモダンの融合 十五代楽吉左衛門
茶道具の世界に革命を起こした楽焼は現代にも受け継がれています。
つい最近の2019年まで現役として活躍したのが十五代楽吉左衛門です。十四代目の長男で幼少の頃より才能を発揮。その才に磨きをかけるべく東京芸術大学彫刻科に入学。卒業後はイタリア留学を経験して世界の美術を学びました。
帰国後十四代の没後、満を持して十五代目を襲名。伝統ある職人一家の気風を受けながら世界を体感した経験値が作品にモダンな風を吹き込み、新境地の楽焼を開拓したといえます。日本陶芸協会賞、京都美術文化賞での金賞、MOA岡田茂吉優秀賞などの受賞歴は、名人の称号を与えるにふさわしいものです。
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