又玄斎一燈とは|七事式を生み出した「三千家・中興の祖」

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又玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう)は裏千家だけでなく、三千家全体において「中興の祖」といわれている茶人です。今回は、又玄斎一燈の生い立ちや功績、好み物についてご紹介します。元禄時代の町人文化が花開いた時期、同氏がどのような活躍をしたのかみていきましょう。

又玄斎一燈の生い立ち

又玄斎一燈は、1719年に表千家六代家元の覚々斎の三男として生まれます。上の兄二人は、表千家七代目の如心斎、裏千家七代目の最々斎です。最々斎は若くして急逝してしまったため、又玄斎一燈は裏千家の養子となり、若干15妻にして裏千家八代目家元を継承します。

1751年には、もう一人の兄である如心斎が亡くなります。表千家側で後を継いで八代目となったのは、わずか8歳の啐啄斎でした。そのため、1758年に行われた「宗旦百年忌」では、又玄斎一燈が一族を代表して茶事・法事を催すなど、精力的に活躍します。

若くして裏千家を継いだ又玄斎一燈を、表千家七代目にして年の離れた兄・如心斎が支えてくれたように……又玄斎一燈もまた、若い家元・啐啄斎を助けようと考えたのかもしれません。

又玄斎一燈の残した功績

又玄斎一燈は「千家中興の祖」と称される茶人です。彼の活躍した17世紀後半から18世紀にかけた元禄時代は、町人文化が栄えた時期。茶の湯もまた「遊芸化」していきます。

一方、茶道人口が爆発的に増えたことで、「素人でもわかりやすい稽古方法」を確立する必要がありました。そこで又玄斎一燈は、兄である表千家七代如心斎とともに「七事式」という稽古法を考案し広めることに尽力します。

それ以前まで、茶道の作法は口伝・秘伝により、代々継承することが当たり前でした。又玄斎一燈は、誰でも茶道の作法がわかる「七事式」の出版を決意します。

七事式は、茶道の素人である町人たちにもわかりやすく、取り組みやすい内容にまとめた書です。こうした活動により、「茶道=三千家」というイメージを町人・農民に伝えた功績があります。

又玄斎一燈の好み物

又玄斎一燈は、茶道における高い技術と知識、確かな審美眼を持っていた茶人です。そのため、好み物も独特で、おもむきある名品がそろっています。

特に「竜頭茶入」「焼桐水指棚」「つぼつぼ棗」「高麗台子」「鳳凰風炉」などは、千利休が提唱した“侘び(わび)”を感じさせながら、華やかな印象を与える品です。伝統的な茶道の心を大切にしつつも、元禄特有の華やかな印象を反映させた好み物といえるでしょう。

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