漆芸家・音丸耕堂の魅力|漆芸界に新風を巻き起こす
音丸耕堂は1932年に帝展で入選して以来、数多くの名品を世に送り出してきた漆芸家です。豊富な色彩表現により漆の新たな可能性を広げ、さまざまな彫漆技術を確立するなど、漆芸会に新風を巻き起こした人物です。音丸耕堂の生い立ちやその特徴をご紹介します。
音丸耕堂の生い立ち
音丸耕堂は1898年(明治31年)、香川県高松市に生まれます。1910年(明治43年)、13歳で讃岐彫りの名手であった石井磬堂に師事し讃岐彫りを学んだとされます。16歳で独立して自営する傍ら、20歳ごろから香川漆器の玉楮象谷の作品に引かれて、模作しつつ自らの彫漆技術に磨きをかけていきました。
1932年(昭和7年)に第13回帝展(のちの日展)で初入選し、以後は官展を中心としてコンスタントに出品していきます。1942年(昭和17年)第5回文展で「彫漆月之花手箱」を出品し特選受賞、1949年(昭和24年)第5回日展で「彫漆小屏風」を出品し特選受賞など、その名を高めていきました。
1955年(昭和30年)には彫漆の重要無形文化財保持者と認定され、同年に日本工芸会の創立に携わります。このように、音丸耕堂は数多くの名品を生み出しただけでなく、日本の工芸界に多大な貢献と影響を与えた作家であるといえます。
音丸耕堂の特徴は色彩表現にあり
音丸耕堂の最大の特徴は、現代風で豊かな色彩表現です。
師である讃岐彫りの石井磬堂や、私淑した香川漆器の玉楮象谷ら、伝統的な技術を継承しつつ、独創的なデザイン感覚により、色彩豊かで大胆な意匠の作品を数多く発表してきました。
もともと、漆には「朱・黒・黄・緑・褐色」の五色のみが使われていましたが、音丸耕堂は当時の新素材であったレーキ顔料を、彫漆の世界でいち早く取り入れます。それにより、色彩表現の幅と可能性を大きく広げることに成功しました。
また、音丸耕堂は色漆に金銀粉を混ぜることでできる沈殿層を生かして文様があらわれる技法や、彫り口の角度を調整し重ねた色漆の層の断面から文様があらわれるような技法など、彫漆において新たな技法を確立して表現法の拡大を試みています。
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音丸耕堂は伝統技術を継承しつつ、彫漆による多様な表現法を生み出し、漆芸界に新風をもたらした漆芸家です。音丸耕堂の作品は多数存在し、「彫漆千鳥茶器」などの茶道具も製作しています。「なんぼや」では音丸耕堂の茶道具や数々の作品をはじめ、多くの骨董品を買取しています。倉庫整理や遺品整理などのご用がございましたら、ぜひ当店へお気軽にお越しくださいませ。