大西浄長は京釜師として知られる大西家の十三代目

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大西浄長は、京都の三条釜座で長く活躍する大西家の十三代目です。由緒ある京釜師の家系に生まれ、多くの名品を生み出しました。今回は大西家の歴史を振り返りながら、浄長の作品がもつ特徴などについてご紹介します。

京都三条釜座の十三代目

大西浄長は、京都の三条釜座にある大西家の家系に生まれた十三代目の釡師です。

京都の三条釜座は、平安時代頃から鋳物の生産地として広く国内に知られています。室町時代以降に茶の湯が愛好されると、この地は京釜師の活動拠点になりました。

いまでも名だたる釡師が軒を連ねるなか、長きにわたり伝統の技を継承してきた家柄大西家です。初代の浄林は1620年頃に三条釜座の座人となり、最初は出身地の広瀬村にちなみ広瀬姓を名乗りました。

二代目浄清は古田織部や織田有楽斎のために作品をつくり、六代浄元のときに千家との関係が生まれます。そんな歴史ある家系の十三代目を受け継いだ人物が浄長です。

これまで大西家には多くの名品が伝わり、中世以来の釜づくりの歴史をひもとくのに不可欠と高く評価されています。

作品を特徴づける生真面目な作風

大西浄長が手がける釜の多くは、生真面目と表現される作風が特徴的です。この傾向は、彼の性格が大きく影響しているといわれています。

浄長は、1866年に十二代浄典の長男として生まれました。母親は、楽家十一代慶入の長女です。四歳のとき父親と死別し、幼少期は母方の楽家で過ごしています。

大西家の後見人であった玉村徳兵衛のもとで修行を積み、生真面目な作風が特徴的な釜を数多く生み出しました。地肌の隅々まで小肌がきちょうめんに打ち込まれているのは、謹厳実直な性格の影響が大きいと見られています。

装飾部分には日本画家の絵が取り入れられ、茶の湯が衰退する幕末から明治の初めに茶道の復興と新たな道の模索にも尽力しました。

鑑定にも才能を発揮した浄長

大西浄長は、釜づくりとともに鑑定の分野でも優れた才能を発揮したことで知られます。

釜には生真面目な作風が目立ち、きれいに仕上げられた小肌は大きな魅力です。作品づくりでは、日本画家として名高い橋本関雪や山本春挙の絵がよく用いられています。

これらの特徴が見られる代表作は、「雪花釜」「馬ノ釜」「茄子形手取釜」「天女地文丸釜」です。そのうち天女地文丸釜は、橋本関雪の作品が下絵に選ばれました。

さらに浄長は、鑑定の才能にも恵まれます。晩年はこの分野に活動の場を広げ、箱書・折紙・極め書を数多く残しました。

鑑識眼にも秀でた浄長の作品は、長い時間にわたり磨かれた感性の高さが感じられるといわれます。彼が残した骨董なら、買取で高評価を得られるでしょう。

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