榊原紫峰の日本画|文展改革に意欲、新しい画風にも果敢に挑戦

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新しい日本美術のスタイルに挑戦し続けた榊原紫峰(さかきばら しほう)。日本芸術院賞恩賜賞を受賞するなど実力ある画家として有名です。伝統ある花鳥画に洋画の写実性を採り入れた大胆な手法の作品は、今日でも多くのファンを魅了してやみません。

花鳥画を生涯描き続け、新たなスタイルを模索

榊原紫峰(1887~1971)は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家です。京都市出身。本名は安造。生涯にわたって対象を正確に切り取る写実重視の花鳥画を多数手がけました。美術協会に所属せず独自路線を貫いたことから在世中の認知度は決して高くありませんが、今日では再評価が進んでいます。
1911年、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)を卒業後、文展を中心に活動。入賞を重ねて注目を集めます。しかし、1918年文展の審査結果に納得がいかず抗議の意を表明、この行動が結果的に文展離脱につながります。その後、入江波光や小野竹喬、土田麦僊、村上華岳、野長瀬晩花らとともに国画創作協会(現・国画会)を結成。美術の新境地を目指して創作活動に励みます。同会解散後は新樹社や春虹会の結成に関わるなど、美術協会とは離れた立場で芸術の新路線を追求し続けました。

伝統に固執しない革新的なスタイル

日本美術の新境地開拓を目指して国画創作協会を結成するも間もなく解散となり、紫峰はその後も独自路線を貫いて創作活動に突き進みます。伝統にとらわれない前衛的で革新的なスタイルに紫峰の特徴がありました。
中国の花鳥画を得意としながら、西洋画の写実主義も採り入れるなど、その技法は非常に幅広いものでした。当時としては珍しいフロンティアスピリットの持ち主だったのです。保守的な文展と相いれず自ら協会を旗揚げしたのも、常に新しい美術の可能性を追求する行動の表れでした。

晩年は水墨画を中心に手がける

晩年の紫峰は水墨画の製作に力を入れたといわれます。風雅で気品ある紫峰の水墨画は静謐な印象を残し、全盛期に手がけた花鳥画と比べても見劣りしません。
日本画の創作と閉塞的な業界の改革に向けられた紫峰の画家活動は、1962年の日本芸術院賞恩賜賞受賞で久方ぶりに脚光を浴びます。孤高で情熱的だった画家人生も1971年に幕を閉じますが、彼の作品は今日なお多くの人の心を捉え続けています。

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