黒田辰秋の独創性|用の美を追究した人間国宝

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黒田辰秋は京都祇園生まれの漆芸家・木工家で、重要無形文化財「木工芸」に認定された人物です。民藝運動に加わり、日用品である工芸の中に「用の美」を追求し、茶道具を始め数多くの独創的な作品を生み出しました。黒田辰秋の生い立ちやその特徴・代表的な作品についてご紹介します。

黒田辰秋の生い立ち

黒田辰秋は1904年(明治37年)に京都市祇園で生まれます。幼い頃から塗師である父の黒田亀吉に家業について学んでいました。しかし、上塗りだけ行うというという漆工芸の分業スタイルに疑問と物足りなさを感じていたそうです。その結果、10代の頃から素地(そじ)作りから加飾まですべて一貫して行う「漆工芸の一貫制作」を志し、木工・漆工の技術を習得していったとされています。

彼は20歳になり、陶芸家・河井寛次郎の講演を聞き感銘を受け、「民藝運動」に参加します。民藝運動とは、人々が当たり前のように使う日用品の中に「用の美」を見いだして、価値を追求する運動のことです。

その後は1954年に日本工芸会理事に就任1968年に皇居新宮殿の拭漆樟大飾棚などを製作1970年に重要無形文化財「木工芸」保持者として認定され、翌1971年には紫綬褒章を受賞しました。

用の美を追究した黒田辰秋

黒田辰秋の作品は技術的に優れている点はもちろん、その類いまれな造形センスも高く評価されています。

辰秋は幼き頃より塗師の子として育てられていたこともあり、その技術力には間違いがありません。加えて、10代の頃から一貫制作を志し、河井寛次郎との出会いにより「用の美」を追求する民藝運動に参加。こうした経歴が辰秋の独創的な造形センスに磨きをかけていったと考えられます。

特に、その造形センスを感じられるのが「赤漆流稜文飾手筐」です。通常、球体や円形の局面に沿って描かれるらせんが、四角い箱に形作られています。その直方体とらせんのコラボレーションは独創的であるだけでなく、思わず持ってみたくなる感覚を呼び起こすものです。

辰秋は「もっとも美しい線は削り進んでいく間に一度しか訪れない。削り足りなくても駄目、削り過ぎても駄目。」と、微妙なバランスのもとで自身の作品が成り立っていることを語ります。

こうした感性を持つ黒田辰秋の作品は著名人のファンも多く、かの名監督・黒澤明も、御殿場山荘の家具として「拭漆楢彫花文椅子」を発注したことはあまりに有名です。

茶道具も多く製作していて、「朱螺鈿茶器」「栗拭漆千筋茶托」など用の美を持った名品が数多くあります。

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黒田辰秋は漆師の子として幼い頃から技術を磨いてきました。そして民藝運動に加わることで「用の美」を追求し、現代民芸の発展に大きく寄与した人物です。「なんぼや」では黒田辰秋の茶道具を始めとした作品の買取を強化しています。確かな目と情報力を駆使して、骨董の価値に合う適正な査定を行います。ぜひお気軽にお持ちくださいませ。

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