歴史ある名跡・高橋道八|天才・仁阿弥道八の名品たち

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高橋道八は京焼の窯元で受け継がれてきた、現代まで続く陶芸家の名跡です。特に二代目は仁阿弥道八と呼ばれ、茶道具など多くの名品を残しています。高橋道八とはどのような家系なのか、仁阿弥道八の特徴や現代の道八までご紹介していきます。

初代高橋道八について

高橋道八は京焼の伝統ある窯元の一つで、代々襲名されている陶芸家の名跡です。

初代道八は1740年(元文5年)に武士の子として生まれましたが、次男であったため家を離れ、京都にて陶器職人として修行。その後、独立して粟田口に開窯しました。当時は煎茶の隆盛期ということもあり、煎茶器の名品を数多く製作したとされています。文人らとの交流も多く、南画を趣味にしていた文化人だったそうです。

仁阿弥道八と呼ばれた二代目高橋道八

二代目高橋道八は、1783年(天明3年)に初代高橋道八の次男として生まれました。歴代の高橋道八の中でも特に名高く、「仁阿弥道八(にんあみどうはち)」という名で知られています。

幼い頃から父である初代高橋道八から陶法の技術を指導されてきたことはもちろん、粟田口焼の老舗「雲林院宝山」や京焼磁器焼成の先駆者である「奥田頴川」に師事し、陶芸家としての基礎を固めていました。

作風としては、同じ奥田頴川門下で兄弟子にあたる「青木木米」とは異なり、ます。癖のない作品は、どことなく高貴な品の良さを感じさせました。、このことから多くの名家から御庭焼の師として尊敬を集めています。

仁阿弥道八は鋭い観察力に定評があり、高麗茶碗や中国磁器、オランダ陶、さらには先達(せんだつ)が製作した京焼の名品などの写しを行っていました。また、人や動物の陶像・磁器像も製作しており、その技術力や観察力は当時でもトップレベルだったとされます。

また、初代道八と同じく、活躍していた当時は、煎茶が流行していたこともあり、製作を後押ししました。世間の需要に応えるべく、「黒赤一双茶碗」「色絵盧仝茶歌文急須」など、多くの茶道具を生み出しています。

いずれの作品も、幼き頃より磨いてきた確かな技術力、そして鋭い観察力、そして癖のない品の良さが特徴的です。

高橋道八の現在

高橋道八の名は現代でも受けつがれています。八代目道八の次女が父に師事し、2012年に九代目を襲名。道八の名と伝統的陶芸技術を継承しています。

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江戸時代に流行した茶の文化とともに、その名を高めた高橋道八。なかでも二代目である仁阿弥道八は、確かな技術と優れた観察力で、多くの名品を残しています。そして、その名と技術は現代まで受け継がれてきました。「なんぼや」では、歴史の中を生き抜いてきた価値ある骨董の買取を行っています。茶道具の買取をお考えの方は、ぜひお気軽にご依頼くださいませ。

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