美術展を見て画家を目指した浮田克躬|渡欧後に増える堅牢な作風

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浮田克躬(うきた かつみ)は、子どものときに見た美術展の影響から画家の道を目指します。渡欧してからは西洋の都市を特徴的な作風で表現し、多くの賞を受賞しました。今回は、浮田克躬の生い立ちをたどりながら作品の魅力的な特徴やさまざまな受賞作品についてご紹介します。

美術展に影響され画家の道へ

浮田克躬は、子どものときに見た美術展に影響され画家を目指し始めました。東京都杉並区の出身であり、1930年に江幡寛夫の長男として生まれます。母親が病の身であったため幼少期は母方の実家で育てられ、後に浮田姓を名乗りました。

画家を目指したのは、1939年の第1回聖戦美術展を見たときです。藤嶺学園藤沢中学に進むと小林萬吾などの指導を受け、東京美術学校(現東京芸術大学)油画科では安井曽太郎や伊藤廉に師事しました。

同校を卒業した1950年に第14回新制作派協会展で初入選すると、翌年には第3回日本アンデパンダン展に出品します。その後、一水会展での入選や日展での特選を果たすなか、評価は高まっていきました。

渡欧後に増える堅牢な作風

浮田克躬の作品は、渡欧してから堅牢で構築的な作風を特徴とする絵が増えていきます。

西欧を中心とする渡航は、1967年に始まりました。最初は、フランスをはじめ8カ国を訪れています。その後も渡欧が続けられるなか、西洋の都市を堅牢で構築的に表現した作品が数多く描かれました。

当時の旅から生まれた絵画は、1967年の第10回日展や翌年の第3回昭和展に出品されています。1979年以降になるとモチーフは西欧にとどまらず、中南米の風景も描かれ始めました。

初期に描かれた作品から風景画は多く見られ、絵の具を何度も塗り重ねることで表現される重厚な肌合いが特徴的です。さまざまな場で発表された絵は、構図や色彩への鋭い感性がうかがえると評されています。

渡欧後に生まれた数々の名画

浮田克躬は渡欧後に数々の名画を生み出し、出品した際には多くの賞を受賞しました。

「サンマルタン水路」は、最初の渡欧で描かれ第10回日展の特選を受賞した作品です。続いて翌年には、「バスティーユの冬」が第3回昭和会展で昭和会賞を受賞しました。

中南米の風景も描き始めた後には「シシリーの家」が1981年の第13回日展で会員賞、1985年の第17回日展に出品した「城砦の島」が翌年に第4回宮本三郎記念賞となっています。

他界する前年には改組第20回展で「海風の館」内閣総理大臣賞を受賞するなど、晩年まで多くの業績を残しました。数々の受賞作を描いた浮田克躬の洋画は、買取でも評価が高くなると期待できます。浮田克躬は人気も高いことから買取市場でも高価取引されています。「なんぼや」では最新の相場を使って永楽の焼物をしっかりと査定し。高値での買取を行っています。まずはお気軽にお問い合わせください。

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