数多くの功績を残した洋画家・北川民次|不屈の精神から生み出された名作たち

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児童へ向けた美術教育の世界的先駆者であり、偉大な芸術家である北川民次(きたがわ たみじ)。生涯に渡って反骨の気持ちを忘れず、多くの油彩画や版画、壁画などをつくり続けました。今回は、北川民次についてご紹介します。

静岡が生んだ偉大な洋画家

北川民次が誕生したのは、1894年のこと。現在の静岡県島田市にある、製茶業者の家に生を受けました。絵画を本格的に学び始めたのは大学在学中のことです。その後、大学を中退してアメリカやメキシコへ渡り、世界を見ながら作品をつくり続けました。

北川民次が傾倒したものの一つに、児童美術教育の普及があります。海外渡航中に児童向けの美術学校を開校し、子どもたちの持つパワーに心を動かされた北川。日本へ帰ってからも、精力的に活動をつづけました。

また、彼は輝かしい功績に見合った多数の評価を得ています。歴史ある日動画廊での個展開催をはじめ、中日文化賞現代日本美術展の受賞、メキシコ政府からの勲章授与、二科会の会長就任などが代表的です。

北川民次が残した名作たち

日本の洋画家のなかでも多作で知られる北川民次。97年の生涯のなかで、さまざまな油彩画や版画、壁画などを残しています。得意とした題材は、バッタや母子像、花など多岐にわたります。ただ、一貫しているのは権威におもねらないものであること。例えば、「銃後の少女」「白と黒」「セブンティーン」「百鬼夜行」「女医」といった作品は、当時の社会問題がテーマになっています。自らの絵で社会を変えたい。そんな思いに突き動かされながら、筆をとり続けました。

メキシコの人や風景を描いたものとしては、「タスコの祭」「トラルパム霊園のお祭り」「女の像」「メキシコ三童女」「ランチェロの唄」などが有名です。はっきりとした輪郭、体や風景の一部が強調されたデザインなど、独特の画風が国内外の人々へ強い印象を与えました。

また、北川民次は大きな壁画を残したことでも知られています。名古屋CBCビルの「芸術と平和」やカゴメ名古屋本社ビルの「TOMATO」のほか、瀬戸市民会館や瀬戸市立図書館の壁画などが残されています。

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アメリカやメキシコへ渡った経験から、日本へ新たな風を巻き起こした北川民次。1989年に亡くなるまで、数多くの作品を世に送り出しました。国内外において高い評価を得る彼の作品は、買取価格も高くつくと期待できます。北川民次の作品をお持ちの方は、ぜひ査定に出してみてはいかがでしょう。「なんぼや」へ作品をお持ちいただければ、洋画買取に詳しい鑑定士が適正かつ高価な買取価格をご提示します。

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