荻須高徳|フランス・パリの裏道に魅せられた洋画家の経歴や作風
異国の地へ定住し、生涯にわたり現地の人々の生活が根付く街並みを描き続けた、洋画家の荻須高徳。ここでは、フランス・パリの裏道に魅せられた荻須高徳の経歴や、作風についてご紹介します。
荻須高徳(おぎすたかのり)とは
荻須高徳は、愛知県に生まれ、フランスの首都パリで活躍した洋画家です。1927年に東京美術学校の西洋画科を卒業すると、同年すぐにフランスへと渡りました。1940年に戦況悪化のため帰国するが、終戦後の1948年に日本人画家として戦後初めてフランスへの入国が許可され再び渡仏。以後は生涯を現地で暮らしました。パリのモンパルナスにアトリエを開いた荻須高徳は、1928年に展覧会のサロン・ドートンヌで入選を果たします。1956年にはフランスの栄典であるレジオン・ドヌール勲章を受章。国内では、1981年に文化功労者に選出。選ばれ、1986年10月に享年85歳で亡くなるると、一週間ほど前には文化勲章の受章が内定していたため、死去日に遡って同章がを追贈授与されました。フランスと日本という二つの国で、高い評価を受けた作家です。
フランス・パリの裏道に魅せられて
荻須高徳は、東京美術学校の先輩にあたる洋画家・佐伯祐三から影響を受けたといわれます。彼らはいずれも、洋画家として非常に多くの時間をフランスで過ごし、パリの街並みを題材に描き続けたのが共通点です。白い石造りの建築物が立ち並び、今なお長い歴史を感じさせるパリの景観。なかでも荻須高徳が度々モチーフに選んだのは、裏道や現地の人々が生活で利用する商店などでした。観光名所のように人目を引く華やかさがあるわけではない、一見すると平凡にも見える都市の一部。それらを独自の鋭い筆致で描き出した「広告塔」「サン・タンドレ・デザール広場」「モンマルトル裏」などの作品が多数見られます。
フランスでも高く評価された作風
フランス・パリを活動の拠点とした荻須高徳は、パリ市長から「もっともフランス的な日本人」と称賛されたことも。その作風は、国際的にも高く評価されています。明治時代以降、さまざまな作家が一時的に海外へ滞在して制作に取り組んだものの、現地へ定住する例はまだ珍しかったようです。国内では、日本人洋画家の国際化をリードした存在として評価する向きもあります。彼が受章したレジオン・ドヌール勲章は、ナポレオン・ボナパルトによって制定された、歴史と栄誉ある勲章です。荻須高徳の絵画は、同国への価値ある貢献として認められています。
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落ち着きのある色使いで、フランス・パリの姿を描き続けた荻須高徳。国内外で高い評価を受けた作品は、骨董市場でも高値で取引されています。荻須高徳の洋画買取を検討されるなら、「なんぼや」へお任せください。価値ある絵画作品を、誠実に査定いたします。