斎藤真一の哀愁とロマン|瞽女(ごぜ)に代表される作品群

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斎藤真一は、日本の著名な芸術家の一人です。特に、社会的に弱い立場にあった女性を題材に、深い哀切を描き出した作家といえます。今回は、斎藤真一の歩んだ道のりや、代表的なモチーフである「瞽女(ごぜ)」、そのほかの代表作品についてご紹介します。

洋画家、そして作家として生きた斎藤真一

斎藤真一は、1922年に岡山県の倉敷市にて誕生しました。子どもの頃から絵を描くことが好きで、家から遠く離れた大原美術館に通っていたエピソードを持ちます。東京美術学校(現在の東京藝術大学)への入学を果たして上京し、卒業後には静岡にて教職に就きました。結婚後、プールヴ賞を得てからフランスへと留学。フランスで出会った画家の藤田嗣治にアドバイスを受け、帰国後に東北へと旅をしました。そこで知った「瞽女(ごぜ)」と呼ばれる盲目の旅芸人は、斎藤真一の作品の重要な題材となります。1994年に病気を患い亡くなりますが、没後も定期的に数多くのメディアで取り上げられています。

瞽女(ごぜ)をテーマにつくられた作品たち

瞽女(ごぜ)とは、かつて存在した職業の一つです。各地を巡って芸を披露する盲目の女性は、この名称で呼ばれていました。東北へ訪れた際に瞽女の存在を知った斎藤真一は、取材を重ねながら作品を作りあげていきます。油彩画で特に有名なのが「星になった瞽女(みさお瞽女の悲しみ)」という作品です。こちらの作品は第14回安井賞佳作賞を受けています。雪中で涙を流す瞽女と、空に輝く一点の星、効果的に使われた赤い色が、瞽女の悲しみを鋭く訴えてくるようです。また、「瞽女:盲目の旅芸人」や「瞽女物語」などの書籍も執筆しています。

心の深い部分にある哀愁を描き出した斎藤真一

フランス留学へ行く前の斎藤真一の代表作は、「閑窓」「鶏小屋」などです。画家人生の後半では、瞽女や花魁(おいらん)などを題材とした、哀愁を感じさせる作品を数多く作りあげています。画文集の「吉原炎上」は、大ヒット映画の原作にもなりました。

海外への渡航も頻繁に行っていた斎藤真一は、カナダのヴィクトリア美術館にも収蔵されている作品があります。卓越したセンスと誠実な姿勢によってつくられる作品たちは、国内外で高く評価されています。

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