弘入の楽焼|文明開化の時代に苦労の日々を重ねた名工
陶器、焼き物は日本の伝統文化の一つです。しかし、時代によってはそんな伝統文化が低迷し、ときには 否定されることもあります。文明開化によってさまざまな西洋文化が流入した明治時代は、特に多くの伝統文化が低迷した時代です。江戸時代まで大きく繁栄していた茶道文化も文明開化の影響を受けています。 同時に楽焼などの 陶器文化も苦境に立たされました。
そんな明治の初期に樂楽家当主 を襲名し、苦労の日々を重ねながら優れた作品を生み出してきた名工が弘入です。今回は、弘入の作品についてご紹介します。
わずか15歳で家督を継ぎ、苦労の日々を重ねる
弘入は江戸時代末期の1857年に十一代慶入の長男として生まれました。その後、父に師事する形で陶芸の道へと進みます。弘入が十二代目を襲名したのはわずか15歳のときのこと。明治初期の1871年に家督を継ぐこととなりました。
明治初期は文明開化の名のもとに、西洋文化が積極的に取り入れられた時代です。同時に、日本の伝統文化が低迷した時代でもあります。茶道文化も例外ではなく、多くの茶道具を作っていた楽焼も同時に大きな影響を受けることになりました。
そんな時代の中、わずか15歳で当主となった弘入は、苦労の日々を重ねることになります。しかし、楽焼の伝統を絶やすことなく陶作を続けていきました。時代背景もあって若い頃はそれほど多作であったわけではありませんが、晩年にかけては再び茶道文化が復興の兆しを見せたこともあり、積極的に作陶を行っていきました。陶芸に打ち込んだ日々のなかで、優れた作品をいくつも残しています。
楽焼の伝統を守ったのびやかな作風
樂楽家の歴代当主の中では、独自の個性的な作風を持った作家が評価される傾向にありますが、弘入の作品は楽焼の伝統を守った優しさを感じさせるものが中心です。のびやかで、どこかおおらかさを感じさせてくれます。まさに、楽焼の伝統を正当に受け継いだ作家であるといえる でしょう。
色彩に関してはとても繊細で、シンプルな色の中に複雑な表情を持たせています。強い光沢を持ちながらも落ち着きのある仕上げを得意としており、その技術によってさらに楽焼の魅力を高めたともいわれています。
前述の通り、多作であったわけではありませんが、後期の作品は非常に高く評価されており、現在でもさまざまなところに展示されています。機会があればじっくり鑑賞してみましょう。
弘入の楽焼の買取査定は「なんぼや」で
弘入は激動の時代の中で苦労の日々を重ねながらも優れた作品を残した作家です。特に後期の作品は現在でも人気が高く、買取市場でも高価格で取引されています。「なんぼや」では弘入の楽焼の高価買取を行っています。まずはお気軽にお問い合わせください。