富岡鉄斎の日本画|世界で高く評価される日本画家
日本伝統の絵画様式である日本画。紙や絹、墨などの画材で描かれる肉筆画・毛筆画は、世界でも高く評価されています。
明治・大正時代にその高い技術を活かし、多くの作品を生み出した日本画家が富岡鉄斎(とみおかてっさい)です。鉄斎の日本画はコレクター需要が高く、骨董買取市場において高値で取引されています。ここでは富岡鉄斎の日本画についてご紹介します。
幼くして家を出て儒学を学ぶ
幼い頃の富岡鉄斎は非常に豪胆かつ短気、そして豪快な性格だったことで知られています。その一方で学問への興味が強く、幼い頃に家を出て儒学(じゅがく)を学びました。
この頃から、日本画家である窪田雪鷹らに画の手ほどきを受けます。特定の流派にとらわれることなく、大和絵や浮世絵、大津絵など、さまざまな技法を学びました。幼少期に会得した技術・技法は、後の富岡鉄斎の作品に影響を多大な影響を与えます。
富岡鉄斎は画に加え、写生も積極的に行ってきたとされています。日本全国を巡りながら、多くの写生を残しました。
絵画以外では、読書を非常に好み、文人としても知られています。読書から得たさまざまな知識や考え方もまた、富岡鉄斎の作品に多大な影響を与えたことは、いうまでもないでしょう。
生涯にわたって2万点を超える作品を描く
多作で知られる富岡鉄斎は。一説によると、生涯にわたって推定2万点の絵画を残したとされます。幼い頃から画の手ほどきを受けてきた富岡鉄斎ですが、30歳目前にしてはじめて、自身の作風を形成します。それ以前は、師事していた日本画家らの影響が、作風に色濃く反映されていました。
特に、20代後半に旅した長崎での経験が大きく、その2~3年後に自身の画を確立します。30代から40代にかけて、繊細な線使いと軽い色彩を駆使した独特の作品を数多く生み出しました。
50代から60代にかけてはややたくましく、力強い作風へと変化。30代の頃の作風に比べると、より洗練された印象です。晩年の80代まで、その技術を一層磨き続けました。同氏が残した代表作には、「浪合神社図」や「青緑山水図」、「蝦夷人図」などがあります。
富岡鉄斎の日本画の買取査定は「なんぼや」で
非常に多くの作品を残した半面、その何倍もの贋作が出回っている富岡鉄斎の日本画。素人が富岡鉄斎の作品の真贋を見抜くのは、ほぼ不可能とされます。「これって鉄斎の作品……?」と思う日本画があれば、「なんぼや」が買取します。まずは気軽にご連絡ください。