尾竹竹坡の日本画|波瀾万丈の生涯を送った名画家
日本画は独特の繊細な表現から、国内のみでなく世界的にも高く評価されています。骨董の世界でも、江戸時代以前の古い作品のみならず、明治時代以降の作品も人気が高く、高値で取引されています。
明治から昭和にかけての時代に活躍した日本画家のひとりとして高い人気を誇るのが尾竹竹坡(おたけちくは)です。日本画家として高く評価されてきた一方で、波瀾万丈の生涯を送った人物としても知られています。今回は、そんな尾竹竹坡についてご紹介します。
波瀾万丈の生涯の中で数々の作品を残す
尾竹竹坡は1878年に新潟で生まれました。幼いころから日本画を学び、高い技術を身につけていきます。しかし、最初から日本画家として生活できていたわけではなく、雑誌の挿絵などを描いて生計を立てていました。その後、日本絵画協会などで受賞するようになり、画家としての評価、人気が高まっていきます。
1905年には若手作家を集めて大同画会を発足させるなど、画家同士の交流にも積極的で、その後、国画玉成会に合流しています。文展に入選するなど、画家としての地位をより確かなものにしていきますが、1908年に画家の岡倉天心と衝突したことをきっかけとして、国画玉成会を退会してしまいます。
退会後も受賞を重ねていきますが、同時にさまざまな派閥と対立するようになり、一部の賞から落選するようになってしまいました。
こうした経緯から、美術行政制度の是正のために1915年に衆議院議員に立候補しました。しかし、結果は落選。多額の負債を背負ったことで乱作に走り、徐々に画名を落としていくことになります。
こうして起伏の激しい生涯を送った尾竹竹坡ですが、現在では再評価され、人気画家のひとりとなっています。
高い技術を駆使した作品の数々
幼いころからさまざまな技法を学んできたこともあり、尾竹竹坡は非常に高い技術を身につけています。その技術を駆使した繊細な作品を数多く残しているのが特徴です。
晩年の作品は全盛期ほど高くは評価されていませんが、その時代を象徴する作品として十分な価値があります。
作品数も多く、彼の絵画を所蔵している美術館も多く見られます。
尾竹竹坡の買取査定は「なんぼや」で
尾竹竹坡は、優れた画家であり、すばらしい作品をいくつも残しています。骨董の世界でも高い人気を誇り、高値で取引されているケースが多く見られます。「なんぼや」でも尾竹竹坡の日本画の買取査定を行っていますので、お気軽にお問い合わせください。