正井和行の日本画|漂着物や残骸をモチーフに独自の世界を確立
深いテーマ性のある作品を発表しつづけ、今なお多くの人の心を捉えて離さない日本画家・正井和行(まさいかずゆき)。肺病を患いながらも絵画への情熱を失わず、病を見事克服して美術史に残る作品を残しました。日展で2度特選を果たすなど実績も確かです。人気や知名度もあり、多くのコレクターが彼の日本画を買い求めています。
画家の福田平八郎に師事
正井和行(1910~1999)は、大正から昭和にかけて活躍した兵庫県明石市出身の画家です。美人画の名手だった画家・寺島紫明の実家が隣だったこともあり、幼い頃より絵画の道に目覚めます。1928年京都市立絵画専門学校に入学し、画家の福田平八郎の下で絵画の基礎を習得。第15回帝展出品「淡路島餞暑」が初入選。19歳という若さで実力の高さを証明しました。
肺を患い療養生活を余儀なくされたため、一時期創作活動から遠ざかることになります。学校も卒業できずじまいでした。それでも師・福田平八郎の指導を受けながら地道に技術を磨いていきます。戦後は京都に活動の場を移して絵画制作に打ち込みました。
日展特選など数々の功績
病を克服して本格的に創作を再開させると、1952年第8回日展出品「陶瓷」が入選。翌年からは福田の勧めで池田遙郎の画塾「青塔社」に入門します。1956年、「エトルスクの土器」が関西総合展の南海賞を獲得。その後も1972年・78年の日展で特選となるなど活躍が続きます。1985年からは日展審査員に就任。1989年には京都市芸術功労賞、翌年には京都府文化功労賞を受賞しました。
残骸や漂着物に、人間の悲しさや美しさを重ね合わせる
27歳で肺を患うなど病弱だった正井和行。作品にどこか沈痛で重い印象があるのも、自身の過去が投影されたせいかもしれません。
絵画といえば、美しい山水や愛らしい野花、花鳥が対象に描かれるものだと思いがちです。これに対して正井和行は、海に浮かぶ漂着物や残骸、廃園、廃坑など、一見して美とはほど遠い存在を描くことにこだわりました。そんな彼の作品に接すると、あらゆるものが無常であり、無常だからこそ感じる美もあると思い知らされます。何かを考えさせる深いテーマ性を持つ作家でした。
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