鹿児島寿蔵の人形|紙塑人形の創始者である人間国宝

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日本では古くから多彩な人形が作られてきました。人形作りの手法にも数々の種類があり、地域の伝統文化となっているものも少なくありません。

そんな人形作りの手法のひとつである「紙塑人形(しそにんぎょう)」の創始者が鹿児島寿蔵(かごしまじゅぞう)です。昭和の時代に誕生した手法で、繊細でありながら非常に力強い作品の数々は高く評価されています。

今回はそんな鹿児島寿蔵についてご紹介します。

昭和を代表する歌人であり人形作家

鹿児島寿蔵は1898年に福岡県福岡市に生まれました。初めから芸術の世界を志していたのではなく、高等小学校の卒業後は地理歴史標本製作所に就職。当時は模型などの彩色の仕事に従事したようです。

その後、工場長各であった人物が独立した際、同時に師事して博多人形の制作を学びました。模型作りから彩色、そして博多人形作りから造形を学んだ後に1917年に独立して手捻り人形の窯を構えます。

一方、人形制作のみでなく歌人としての活動も行っており、短歌結社誌である「アララギ」にも参加し、積極的な詩作も行いました。人形作家としてはもちろん、歌人としての評価も非常に高く、アララギ派を代表する作家のひとりとして多くの歌集などにも参加しています。

そんな歌人としての活動で高野山を訪れた際、鹿児島寿蔵は上質な和紙と出会います。それから、和紙の研究を重ねた末に、粘度ではなく紙を使って制作する紙塑人形を創始しました。

この紙塑人形は早い段階から高く評価され、芸術作品としての注目も高まります。そして、1961年に紙塑人形の分野において人間国宝に選ばれました。

人形芸術に革命を

鹿児島寿蔵は紙塑人形を創始する以前から、人形の世界における革命を志していました。博多人形などの伝統的な手法を学びながら、同時に「新しい人形作りを行いたい」という想いが強く、この夢が紙塑人形という形で実を結んだと言えます。

それだけに、鹿児島寿蔵は創作活動にも積極的で、多数の作品を残しています。現在でも鹿児島寿像の手がけた紙塑人形は数多く残されていますので、ぜひ全国各地の美術館で鑑賞してみてください。

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紙塑人形は、人形制作の技法を超えて、創始者である鹿児島寿蔵の手によって芸術として昇華されています。これこそが、骨董市場で高く評価される理由です。骨董買取の「なんぼや」では、鹿児島寿蔵の紙塑人形の高価買取を行っています。お手持ちのお品物の価値が気になる方は、査定のプロまでお気軽にご相談ください。

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