永樂保全の茶道具|永樂家の作風を広げた名工

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安土桃山時代から江戸時代にかけて形成された芸道、茶の湯。日本の茶の湯文化を支えたのが、さまざまな茶道具をつくる名工たちです。特に京都の「永樂家」が手がける茶道具や工芸品は、現代においても高い人気を誇ります。

永樂保全(えいらくほぜん)はその十一代目当主にあたり、長く続く永樂家の中でも優れた技術を有する作家です。今回は、永樂保全の略歴や作風についてくわしく解説します。

多彩な作品を生み出した十一代目永樂保全

永樂家は長年にわたって茶道具を制作してきました。その歴史は室町時代までさかのぼります。当初は奈良に開窯(かいよう)していましたが、江戸時代以降は京都に移住。永樂を名乗り始める以前は、西村善五郎を名乗っていたことで知られています。

永樂保全はもともと、京都の織屋である沢井家に生まれ、後に永樂家十代当主で了全の養子となりました。その後、22歳の時に十一代目を襲名しますが、すぐに本格的な作陶に入ったわけではありません。襲名後10年間は、登窯の焼や釉薬(ゆうやく)の研究に時間を費やします。本格的に陶作を始めたのは、30代になってからでした。

永樂保全は、長年の研究の成果を活かした作品をいくつも制作。その高い技術や作風は、当時から高く評価されました。現在でも永樂保全の作品は人気が高く、骨董買取市場において、高値で取引されています。

制作時期で変わる永樂保全の作風

永樂保全の作品は、文化14年頃の「善五郎時代」、天保14年頃の「善一郎時代」、そして永樂保全を名乗るようになった弘化(こうか)4年頃の「保全時代」と、制作時期により作風が変わります。

善五郎時代の作品は、高い陶技を活かした鋭さのある作風が中心でした。続く善一郎時代には、その技術により磨き、完成度の高い作品をいくつも生み出します。

永樂保全を名乗るようになってからは、より作風が幅広くなり高槻焼や湖南焼なども制作しています。この時代の印象から、永樂保全は歴代当主の中でも多彩な作風がみられる作家として知られます。

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永樂保全は永樂家の歴代当主の中でも、とりわけ人気の高い作家です。永樂保全の茶道具をはじめとする工芸品は、ぜひ「なんぼや」に買取をご依頼ください。特に茶碗はコレクターニーズが高く、驚くような値がつくこともあります。「これって永樂保全の作品……?」と悩む前に、まずは一度当店にお持ちください。専属の鑑定士が拝見し、大切なお品の本当の価値をお伝えします。

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