蕎麦猪口とは|日本人に愛され進化し続ける器

no-image

蕎麦猪口は古伊万里の雑器を起源とするもので、蕎麦文化が花開いた江戸時代から現代まで、なじみの深い食器として日本人に愛されてきました。

今回は蕎麦猪口の原点や時代とともに変化してきた特徴などをご紹介していきます。

蕎麦猪口の原点は古伊万里に

蕎麦猪口はお蕎麦屋さんでつけ汁を入れる器として利用されている食器です。ほかにも、珍味やちょっとしたおかずを入れる器や、インテリア雑貨として、現在でも人気のあるアイテムです。

蕎麦猪口はもともと、さまざまな料理を入れる「雑器」でした。江戸時代の蕎麦ブームとともに蕎麦のつけ汁入れとして利用されるようになり、「蕎麦猪口」として別ものとして扱われるようになっていきます。また、初期の蕎麦猪口は古伊万里の製品がほとんどで、蕎麦猪口の原点は「古伊万里の雑器」であったと考えられています。

蕎麦猪口は多様な柄で「衣装持ち」

蕎麦猪口は「衣装持ち」といわれるほど、多様な柄が描かれているのが特徴です。植物、動物、天体、風景、幾何学模様、さらに最近では北欧ブームと結びついて、北欧柄の蕎麦猪口も数多く作られています。

近年では印刷技術の発展により大量生産品も増えていますが、アンティークものは手描きにより柄が描かれ、コレクターの興味を引いています。

藍色一色で描かれたものが有名ですが、なかには色絵付けや五彩、赤絵、金襴手、柿右衛門様式などのように色鮮やかな蕎麦猪口もあります。まさに衣装持ちとしてふさわしいバラエティーに富んだ柄が魅力的です。

時代とともに進化する蕎麦猪口の特徴

蕎麦猪口は手に収まりやすいサイズ感でシンプルな形状、というのが一般的なイメージです。しかし、じっくり観察してみると、時代の変化とともに蕎麦猪口も変化しています。

江戸時代初期に作られた蕎麦猪口は高台経が狭く、縁の口径は広めにとられていました。蕎麦猪口とはいえ、まだ雑器としての面影が残っていたようです。

江戸中期に入ると、高台経と口径の差が少なくなり、器全体の厚みが薄くなってくるのが特徴的です。初期に比べるとだいぶ現代の蕎麦猪口に近いイメージとなってきています。

江戸後期はさらに高台経・口径の差がなくなり、円筒形に近い形となります。さらに、高台は「蛇の目凹形高台」と呼ばれるものが現れはじめます。

明治時代もその形は継承され、ヨーロッパから「合成呉須」の染料が入ってきたことをきっかけに、藍色の鮮やかな蕎麦猪口が主流となっていきました。

蕎麦猪口の買取は「なんぼや」にお任せください

蕎麦猪口は今でもさまざまなデザインのものが作られていますが、江戸時代や明治時代などのアンティーク品も骨董品として人気があります。特に江戸時代のものは特徴的な形状やデザイン、色味、質感などがあり、骨董市場でも高い人気を誇ります。

骨董の買取に力を入れている「なんぼや」では、蕎麦猪口の買取を積極的に行っています。いくらになるか知りたいときや、他店で買取を断られたときなど、ぜひお気軽にお持ちください。

2つの選べる買取方法
すべて査定料・キャンセル料はかかりません

お近くに店舗がない方はコチラ

お電話LINEで無料査定
ご質問・ご相談もお気軽にお問い合わせください