手島右卿の作品や作風|ライオンと言われた書家
その容姿などから「ライオンの右卿」といわれた手島右卿。
現代書の父でと称される比田井天来に師事し、一字の漢字に想いや情景を込める「象書」による作品を発表した書家です。日本はもとより国際的にも評価が高い手島右卿の生い立ちや作風、そして作品についてご紹介していきます。
手島右卿の生い立ちや活躍
手島右卿は1901年に高知県安芸市にて誕生しました。14歳の頃に、「楷書階梯」や「書道史大観」の著者でもある書道家・川谷尚亭に師事して書を学びます。手島右卿が30歳を過ぎた頃、師である尚亭は亡くなってしまい、以降は現代書の父といわれる比田井天来に師事します。もともと川谷尚亭も上京した折に天来に薫陶を受けたといわれていることから、手島右卿にとっても天来を師として仰ぎたいと考えていた、又はもともと関係性があった可能性は高いでしょう。
天来のもとで書を学びつつ、書道芸術院の立ち上げや独立書道会の設立などを行い、書道会にさまざまな貢献をしていきます。日本を代表する芸術家としてヨーロッパやアメリカなどで国際的な活動も行い、1982年には文化功労者顕彰を受けました。
手島右卿の作風と基礎を作り上げた二人の師
手島右卿は川谷尚亭や比田井天来の影響を受け、その作風も基礎は二人の師匠によって作られたものです。
また現代書の父である天来の門下生として、金子鷗亭らを始めとする門下生らと現代の書について議論を重ねていました。その中で行き着いたのが後の代表的作風となる「少字数書」です。
少字数書はその言葉通り、1~2文字を取り上げて漢字の造形性を強調する技法です。そこに濃淡を極端に使い分ける技法と組み合わせて、情感や思想を凝縮させて1つ又は少数の漢字に表現する「象書」を提唱。ライフワークとして多くの作品を生み出していきました。
中でも1957年の「第4回サンパウロ・ビエンナーレ」で出品された「崩壊」に関する逸話は興味深いものです。漢字を知らないブラジルのペトロ-ザ博士が作品を見て「崩れ行くものを表現したものなのか」と手島右卿に言ったのだそうです。漢字を知らない人でも書を理解できる「象書」のポテンシャルの高さを証明した逸話といえます。
ほかにも、手島右卿はブリュッセル万国博覧会「近代美術の50年展」にて日本代表として「抱牛」を出品。加えて「望」「誠」「虚」といった少字数書・一字書の作品を発表し、世界的に認められる書家・芸術家となっていきました。
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現代書の父・比田井天来の門下生、そして少ない漢字に想いを込める「象書」の書家として、手島右卿の作品はいまもなお愛され続けています。手島右卿の作品はもちろん、古書や骨董の買取をお考えでしたら、ぜひ「なんぼや」にご相談ください。確かな経験と知識で骨董を鑑定し、市場に沿った適正な査定額をご提示いたします。