青木木米の代表作|京焼の幕末三名人に数えられた才能

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「京焼の幕末三名人」として名高い青木木米は幼い頃から芸術的才能に溢れ、高名な師に学ぶことでさらにその才能を開花させていきました。「紫交趾釉荒磯文急須」などの名品を生み出した青木木米の生い立ちや代表作についてご紹介します。

青木木米の生い立ち

青木木米は江戸後期の明和4年(1767年)に京都の茶屋「木屋」の青木左兵衛の子として誕生しました。裕福な家庭に生まれ、幼い頃から芸術の世界に興味を持っていたとされ、印聖と讃えられる高芙蓉に書を学びその美的センスに磨きをかけていきました。

29歳の頃に「陶説」を読んで作陶を志し、京焼最初の磁器焼成に成功した奥田頴川にその技術を学びます。そしてさらに30歳で京都の栗田口にて窯を開き評判となります。

その後は陶工としてはもちろん、南画家としても数々の秀作を残し、「京焼の幕末三名人」の1人として名を連ねました。

青木木米の才能が開花したきっかけ

青木木米は幼い頃から類まれなる芸術への強い興味と美的センスを持っていた人物です。若い頃から印聖・高芙蓉に書を学んでいたというのも、青木木米の芸術的素質を裏付ける逸話といえます。

また、陶工の師である奥田頴川は、京焼最初の磁器焼成に成功した人物であるとともに、それまでの京焼にはなかった染付・赤絵・交趾のように中国風の絵付けを取り入れて名を挙げた陶芸家です。青木木米もまた、白磁・青磁・赤絵・染付といった広い作域を持ち、師である奥田頴川の影響を受けたと考えることができます。

このようにもともとあった青木木米の素質は偉大な師によって伸ばされ、より幅広く深みを持った作品作りに生かされたのでしょう。

「京焼の幕末三名人」青木木米の作品たち

青木木米は永樂保全、仁阿弥道八らと並び称される「京焼の幕末三名人」の1人です。茶碗・水差・花器・急須などを特に多く製作し、中でも煎茶道具は力を注いでいました。

また、作品作りの中で中国古陶磁に傾倒していたことから、南画作品も数多く残しています。

絵画作品としては「騰龍図」「兎道朝暾図」「山水図」「渓山幽居図」などを残しました。さらに、「百子文瓢形瓶」「詩文煎茶碗」「龍濤文瓜形水注」「七香文茗碗」「紫交趾釉荒磯文急須」といった独特の世界観を持つ陶芸作品も残しています。

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