今尾景年の高い写生力が活きる掛軸|繊細な花鳥画を得意とする画家の技

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今尾景年(いまおけいねん)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本画家です。四条派に属しており、華やかで繊細な花鳥画を得意としていました。今回は、写生にこだわり、国内外で多くの賞を受賞した今尾景年の経歴や作品についてご紹介します。

努力で培われた高い写生力

今尾景年は1845年、京都で友禅悉皆業を営む「今尾猪助」の三男として生を受けます。実家は代々「伊勢屋」という、三井呉服店出入りの友禅悉皆業者染屋でした。

1855年、11歳になった景年は、浮世絵師で銅版画の技術もある梅川東居に弟子入りします。1858年、14歳のころ東居のあっせんで鈴木百年に入門。このとき、百年の「年」と、父親の敬愛する絵師・松村景文の「景」を取り合わせて「景年」と号しました。

景年は、絵を学びながら詩文を学んだり、丹波国や大和国(現在の兵庫や奈良)へ写生に出かけたりして、知識と高い写生力を培います。1864年、禁門の変で生家が焼失してしまいますが、景年はますます絵の研究に没頭し、友禅の下絵を描きながら家塾を開いて生活を支えました。

1875年、京都博覧会で受賞、1877年の第6回京都博覧会では「牧童図」が銀賞を受賞します。その後も意欲的に作品を出展。パリ日本美術縦覧会にも作品を送り、海外進出まで果たしました。

1885年に奈良博覧会に出品した「余物百種の図」が一等金牌を受賞したのをきっかけに、広くその名を知られるようになります。その後も国内外で数々の賞を受賞しました。

今尾景年芸術の真髄「花鳥画譜」

今尾景年は、息遣いまで聞こえてくるようなリアルな描写の花鳥画を得意としていました。これは、景年が若いころからこだわり続けた「写生」のなせる業です。景年の高い描写力は、鈴木百年の教えのもと、ひたすら写生する生活を続けていたときに培われたといわれています。

景年は写生に並々ならぬこだわりを持っており、「花鳥画譜」を制作するにあたっては、博物学者の指導を受けながら科学的根拠にもとづき写生を重ねた逸話があります。1891年に西村総佐衛門によって刊行された「景年花鳥画譜」4冊は、景年芸術の真髄と評されました。

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