風流を愛した画家・池上秀畝。花鳥山水を素朴に写した掛軸の魅力

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長野県を代表する日本画家・池上秀畝(いけがみ しゅうほ)。文展入賞の常連だった実力派の画家には、すぐれた掛軸作品も数多く存在します。山水や花鳥をきめ細やかなタッチで描き出す作風で独特の世界観を築きました。現代の買取市場においても作品群は高額買取の対象です。今回は、池上秀畝の生い立ちや功績をご紹介していきます。

小学校を卒業後に画家を目指す

池上秀畝(1874~1944)は、明治末期から昭和初期にかけて活躍した日本画家です。実家は長野県の紙商兼小間物屋ながら、祖父休柳、父秀花はいずれも画家という芸術一家に生まれ育ちます。秀畝が画家として生きる道を選んだのはある意味必然だったといえるでしょう。

小学校を卒業すると、さっそく画家の道を目指すべく修行を開始。当時はまだ無名だった荒木寛畝の門下となり、文人画を学びます。日本画を中心に学びながら洋画の研究にも取り組みますが、師の寛畝が途中でやめさせたという逸話が残っています。1906年に同門だった大岡豊子と結婚。荒木画塾の中心的存在として創作活動に励みます。同塾から詩画塾なる組織が派生したときも、華道や茶道にたしなみのあった秀畝が中心となってまとめたといわれます。

文展入賞、帝展審査員としても活躍

池上秀畝は、花鳥画や山水画を得意とし、自然に題材を求める作風で多くの名作を世に残しました。1908年に文展初入選。1916年から3年連続文展特選受賞。数々の受賞記録は実力の高さを物語ります。実力派作家として確かな地位を築きながら、同志とともに文展改革を目指すなど創作以外の活動も目立ちました。1933年には帝展審査員に就任。後進の指導や新人の発掘に尽力しました。

「柏鷹」「避邪之図」など掛軸作品も多い

日本画壇の重鎮であった池上秀畝は、その生涯で多くの掛軸作品も残しています。「柏鷹」「避邪之図」「楊柳白鷺図」「芭蕉白鷺図」などは素朴で繊細、味わい深いタッチが印象的な名作です。秀畝に洋画の下地があったからこそ、的確な描写やすぐれた写実が可能だったのでしょう。日本画らしい自然美を写実性豊かに描き出す秀畝の作品には厚みがあります。今なお買取市場で高く評価されるのも納得です。

掛軸の高額買取は、「なんぼや」にお任せください

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