汎叟宗室 鵬雲斎とは|「一碗からピースフル」に込められた想い

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大正時代に活躍した茶道家、「汎叟宗室 鵬雲斎(はんそうそうしつ ほううんさい)」。「一碗からピースフル」を掲げ、世界各国での茶道の普及はもちろん、茶の湯を通して国際平和を望み活動した人物です。

今回は、汎叟宗室 鵬雲斎の生い立ちや、スローガンを掲げるに至った経緯をご紹介します。

鵬雲斎の生い立ちと太平洋戦争

汎叟宗室 鵬雲斎は1923年、裏千家十四代家元・淡々斎の長男として生まれました。幼い頃は体が弱く、馬術を習って体を鍛えたといいます。

第二次世界大戦中である1943年から1945年まで、学徒出陣のため海軍に入隊します。彼が志願したのは、神風特攻隊でした。

串良海軍航空基地へ移動する前日には、飛行機のかたわらで手持ちの茶道具、配給の羊羹(ようかん)を持ち寄り、5人の仲間と茶会を行ったそうです。汎叟宗室 鵬雲斎自身、「今でも仲間の声が聞こえ、顔が思い浮かぶ」と当時のつらかった記憶を語っています。

鵬汎叟宗室 鵬雲斎は、出撃命令が出る前に松山基地へ転属となり、同じ所属だった後の俳優・西村晃とともに生き残りました。依頼、西村とは親友として交流を持ったといわれています。

「一碗からピースフル」を提唱した鵬雲斎

終戦後、裏千家の今日庵に進駐軍の将兵たちが訪れるようになりました。「戦勝国として日本の文化を知るべきである」と、アメリカ司令部の考えがあったそうです。

しかしその考えを知らない汎叟宗室 鵬雲斎は当初、悔しさや仲間への申しわけなさなど、複雑な気持ちを抱えていたとされています。ですが、父・淡々斎の姿をみて、その気持ちをあらためました。父は「日本人・アメリカ人」の区別なく接し、無作法ものに対しては、茶人として厳しく指導したのだそうです。

そのような経緯から、汎叟宗室 鵬雲斎は、国際平和こそこれからの世の中には必要であると考えます。結果、「一碗からピースフル」という茶人らしい意志を感じるスローガンを掲げました。

後に裏千家十五代家元として各国を回り、「ポルトガル共和国名誉領事」「同志社理事」「ユネスコ親善大使」など数々の公職を務めます。日本では「紺綬褒章」「藍綬褒章」を受章。フランス・ブラジル・西ドイツ・イタリア・フィンランドからも勲章を授与しています。

汎叟宗室 鵬雲斎は、その目を世界に広げ、茶の湯を通して平和を築くために尽力してきた茶人といえるでしょう。

汎叟宗室 鵬雲斎が好んだ茶道具

汎叟宗室 鵬雲斎の好みとされる茶道具は、“わびさび”を感じる古風なもの、世界各国の人が理解できる豪華絢爛で、意匠性の高いものと、多岐にわたります。

有名どころでは「遠山釜」「鶴雲釜」「行雲棚」「四季草花棗」「茶碗松島」「南鐐皆具」があり、写しも人気を博しています。また、自作の茶道具も「茶杓」「手造樂茶碗」「手造大樋茶碗」など数多くあり人気です。

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