薮内流中興の祖・竹心紹智が提唱した利休の心とは
竹心紹智は薮内流の五代目で中興の祖として知られる茶人です。元禄期の浮薄で華美な茶を批判し、利休時代の茶風をよしとする薮内流の基礎を築き上げたともいわれます。茶人であり文化人、そして作陶も行い茶道具も自作していたといわれる竹心紹智について解説していきます。
竹心紹智と藪内流
竹心紹智を語るうえで、まず彼がその名を受け継いだ「薮内流」について知っておくべきでしょう。薮内流は戦国時代の豪商であり茶人でもある武野紹鴎の門下であった、薮内剣仲を初代とする茶道流派の一つです。剣仲は兄弟子であった利休と親交が深く、利休より茶道を相伝されています。そして同時期の茶人・古田織部の妹をめとったと伝えられる人物です。
そうした経緯から、薮内流は浮薄をよしとせず、利休時代の茶風をとどめた流派として知られています。紹鴎や利休が提唱した侘び茶と織部が創始した武家茶(大名茶)の影響を受けたためです。
現在は允猶斎竹卿紹智が十四代目として藪内流の心を伝えています。
利休への回帰を説いた竹心紹智
竹心紹智はそんな藪内流の五代目であり、中興の祖と称されている茶人です。美濃大垣の医師であった南條玄斎の末子であり、三代目剣翁紹智の外孫かつ四代目剣渓紹智の婿養子であったといわれています。
池大雅に書を学び謡曲や和歌、漢詩など学問はもちろん、作陶もたしなんでいたとのことで、かなりの文化人であったと考えられます。
そんな竹心紹智は元禄期の茶道会を痛烈に批判した人物として知られます。富裕町人と親交を深くして、ただ華やかなだけの茶会を開く三千家に対して疑問を抱き、著作である「源流茶話」「真向翁」などで利休の提唱した侘び茶精神への回帰を提唱しました。そして華美・浮薄を戒め、茶道の本質に立ち返るために古儀を改めて見直し、薮内流の確立を果たしていきます。
茶道具や茶室まで手掛ける
前述の通り、竹心紹智は薮内流の五代目であり当時を代表する文化人でした。そして作陶も行う多彩な面を持ち、自身が使う茶道具も自作していたといわれています。
茶碗、花入、茶杓などはもちろん茶室も手掛けています。西本願寺の「須弥蔵」は本願寺門主寂如上人に要請されて手掛けたとのことです。また、北野天満宮万燈会にて自作の茶碗にて献茶をし、気の合う人とならどんな人へも茶を振る舞ったとされています。竹心紹智が当時使っていた自作の「竹一重切花入」「共筒茶杓」などの茶道具はいまでも博物館などで大切に保管されています。
茶の心を感じる茶道具の買取なら「なんぼや」へ
竹心紹智は薮内流の五代目であり中興の祖として、元禄期の華美な茶道を痛烈に批判し、利休に回帰した古儀の作法・茶の心を大切にした人物です。竹心紹智が自作し、使っていたとされる茶道具はいまも貴重な骨董として注目されています。「なんぼや」では竹心紹智ゆかりの茶道具はもちろん、さまざまな骨董を買取いたします。もし歴史あるお品があれば、お気軽に「なんぼや」へ買取依頼をお出しください。