安倍安人の個性あふれる陶芸|アートとして生み出される作品の数々
安倍安人は、30代で陶芸活動を開始した作家です。作品づくりをアートと考える意識は、数多くのユニークな名品を生み出します。今回は安田安康人の考え方をふまえながら、さまざまな作品に見られる魅力などについてご紹介します。
陶芸家としての活動は30代から
安倍安人が陶芸家として作品づくりを開始したのは、30代になってからです。すでに20代のうちに画家として才能を発揮した素地があり、陶芸の世界にも活躍の場を広げます。
1938年に大阪市で生まれ、もともとの苗字は渡辺でした。後に安倍家の養子となり、いまの苗字に変わります。20歳の頃から洋画家の教室や中央美術学園で絵画を学び、1967年に最初の個展を開きました。
30代になると、陶芸の分野にも興味を抱き始めます。初めて作品を発表した地は、愛媛県松山です。1986年からは岡山県内にある寒風陶芸の里に窯をつくり、作品づくりに打ち込みました。
陶芸家としても名が知られると、島根県内に木の花窯横田塾を設立するなど多方面で精力的に作家活動を展開しています。
造形や色づけに見られる個性が魅力的
安倍安人の作品は、随所に見られる自由でユニークな造形が大きな特徴です。
彼は陶芸をあくまでアートと考える意識が強く、既成概念に縛られない自分なりの観点から作品づくりに取り組んでいます。この姿勢のもとで生み出される備前焼は、個性あふれる造形や色づけが魅力的です。
彼の作品を評価する声は、国内だけにとどまりません。古備前の伝統を受け継ぎながら大胆かつ繊細な雰囲気も感じられ、国際的にも高く評価されました。
実際にアメリカでは、ニューヨーク市マンハッタンのメトロポリタン美術館やサンフランシスコのアジアンアートミュージアムが彼の名作を収蔵しています。
アートとしての作品づくり
安倍安人の作品づくりをアートと表現する考え方は、彼自身の言葉から理解できるかもしれません。
彼は、アーティストによる「一品もの」と陶工による「職人もの」は区別が必要と述べています。備前焼も同じであり、この視点にしたがうと類似の作品も同一基準では扱えないと考えられます。
そんな彼の主張は、アートとしての作品づくりにも反映されているのでしょう。多くの名品は強い美意識から生み出され、これまでに見られなかった自由でユニークな特徴をもつ傾向があります。
一つの窯で一度に多数の作品が焼かれているとしても、それぞれ量産品でなく「一品もの」と呼ぶのが適切かもしれません。
そんな安倍安人の代表作としては、「備前茶碗」「備前水指」や「彩色備前水指」が知られます。アートと呼ぶにふさわしい「一品もの」であれば、骨董の買取でも高評価を得られるでしょう。