彫金家・北原千鹿|彫金の世界にモダニズムの新風を巻き起こす

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北原千鹿は彫金・金工の世界にモダニズムの風を送り込んだ彫金家です。帝展にて3年連続で特選受賞する実力を持ち、美術工芸団体「工人舎」の主宰として若手育成にも努めました。今回は北原千鹿の生い立ちや特徴、その魅力について解説していきます。

北原千鹿の基礎を作った学生時代

北原千鹿は1887年に父・百太郎の三男として香川県に生まれます。北原家はもともと讃岐高松藩の武家であり、父・百太郎は提灯屋を営んでいました。幼少期の千鹿は家業を手伝うために提灯に絵を描いたとされています。
尋常高等小学校卒業後、1902年に香川県立工芸学校に入学し金属彫刻科を専攻。佐賀出身の芸術家・田雑五郎の指導を受けて初めて彫金を学びます。
その後、工芸学校卒業後は東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)・金工科に進学。水戸派の彫金を学び、明治彫金界の代表的な存在である海野勝珉らに師事して伝統的な彫金技術の教えを受け、この時代に大いに成長したそうです。

北原千鹿の特徴と代表的な作品

東京美術学校卒業後は東京府立工芸学校にて数年間教鞭(きょうべん)をとるも、作品制作に打ち込むために辞職。この後、大正末から昭和はじめにかけて、千鹿の創作意欲や新たな工芸に対する意欲が盛り上がっていきます。
1926年に高村豊周らと新しい工芸美術のあり方を模索するために「无形」を結成、さらに1927年には同郷の若手工芸家であった大須賀喬、鴨政雄らと美術工芸団体「工人舎」を設立します。千鹿はこうした活動を経て、学生時代に磨いてきた伝統的な技法と、これまでの工芸になかった近代的な感覚を取り入れた作品を数多く生み出す下地を作っていきました。
1927年、千鹿は第8回帝展に出品した「花置物」で特選をとります。さらに翌年1928年には「羊置物」で帝展特選、1928年には「兜置物」で帝展特選をとりました。
作品が続けて特選となることで北原千鹿の名が世の中に広まっていきました。独自の感性により造られた千鹿の作品は、伝統を重んじる彫金家らからは時に批判も受けます。しかし、旧態依然とした工芸会にモダニズムの新風を巻き起こしたことは確実に評価され、昭和を代表する彫金家として現在に名を残すことになるのでした。

北原千鹿の特徴と代表的な作品

モダニズムの彫金家・金工家と言われる北原千鹿の作品は、過去にとらわれず独創的なものでした。アールデコの幾何学的な形態を取り入れるなど、新たな彫金・金工の表現を模索していたためです。
そうした新たな表現を可能にしたのは学生時代に海野勝珉らから学んだ伝統的な彫金技術にあります。千鹿が当時としても卓越した技術力を誇っていたのは、東京府立工芸学校での指導経験や、工人舎にて若手を育成していたことからも明らかです。
北原千鹿の特徴を表した作品として代表的なものには「葡萄文水差」「置物 花の折枝」「羊 置物」「置物 兜」「鹿文金彩花瓶」「蛙壁掛」などがあります。

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北原千鹿の作品は、確かな伝統技術に裏付けされた質の高さだけでなく、近代的で独創的な表現に特徴があり、彫刻品としてとても人気があります。「なんぼや」では千鹿はもちろん、有名作家たちが製作した彫刻品を高く買取しています。ぜひお気軽にお持ちください。

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