野見山暁治の洋画とは|作家にとって大きかった出会いや作品の魅力
野見山暁治(のみやまぎょうじ)は、戦前から筆を握り、現在もなお活動する百寿を迎えた洋画家です。今回は、野見山暁治の略歴や作品の魅力についてご紹介します。
画家になるうえで大きかった出会い
野見山暁治は、戦前から長期にわたり活躍する洋画家です。2021年現在、100歳の現役画家として、意欲的に作品を発表しています。
野見山暁治の出身地は福岡県で、炭鉱を経営する一家のもと、1920年に生を受けました。幼い頃は廃棄された石炭塊の山を遊び場に育ち、絵描きは「遊んでいるうちに覚えた」と語っています。
同氏いわく、画家を志すうえで、中学の美術部の先生との出会いが大きかったと話しました。窓から見える風景の描き方を説明され、「絵は手品のようなものだなと思いました」と当時を振り返っています。
1938年、現東京芸術大学の前身である東京美術学校の油画科予科に進学。翌年に本科へと進みました。在学中の1942年、第20回春陽会で初入選し、その後も多くの業績を上げながら活躍していきます。
長い時間のなかで変化する作風
野見山暁治の作風は、長い時間のなかで変化し続けてきたといわれます。
野見山暁治は中学生のとき、美術部の先生から「絵描きは目の前にある風景の要約である」といった説明を受けました。同氏は若くして、風景画は「風景を描き写すだけでは意味がない」と理解します。
画家として歩み始めてからの作品は、奔放なタッチで知られました。彼の作品は、基調となるグレーと彩色のコントラストが印象的です。
2000年頃の絵には、筆致の力強さとスピード感が増しています。この時期に仕上げられた「本当は言えない」は、鮮烈な紅色による表現が、開いた唇を想起させる力作です。
今後の作風についても、「まだまだ変わってくるだろう」と話す野見山暁治。今後の活躍に目が離せません。
無尽蔵に込み上げる創作意欲
野見山暁治の創作意欲は、現在も尽きることがありません。創作活動の支えについて、野見山暁治は直近のインタビューのなかで「ほれているものをいつまでも見ていたい。そのまま描きたい」と述べています。
また、長く描き続けてきた原動力については、「私には時間の観念がないんですよ」と回答。さらに、いまも好きな絵を描き続けられるのは恵まれたこととの言葉も聞かれました。
野見山暁治の洋画は「なんぼや」が買取・査定します
100歳を超え、現在てもなお、洋画を介した自己表現を続けている野見山暁治。「なんぼや」では、野見山暁治の洋画の買取に力を入れています。「これって本物かな?」と思う品がございましたら、ぜひ当店にお持ちください。