平松譲の魅力的な油彩画|キャンバスいっぱいに広がる鮮やかな色彩

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平松譲は、大正生まれの洋画家の一人です。2013年に亡くなるまで、多彩な作品をつくり続けました。今回は、平松譲についてご紹介します。

大正から平成までを生き抜いた洋画家・平松譲

平松譲は1914年に生まれました。出身地は東京都の三宅島です。1929年に尋常小学校を卒業し、15歳の頃、現在の東京都池袋エリアにあった豊島師範学校へ入学するため、島から出て生活を始めました。当時、画家の能勢亀太郎が開いた「能勢洋画塾」で絵画を学んでいます。1933年に帝展に入選してからは、数々の展覧会にて賞を受けてきた、評価の高い作家です。1997年には、勲三等瑞宝章を授与されています。その後2013年、急性肺炎により99歳の長い生涯を終えました。

平松譲の作品で特に有名なのは風景画です。自然豊かな三宅島で育った彼の描く絵は、あたたかくおおらかな雰囲気を感じられます。色彩の豊かさや、キャンバスいっぱいに描かれるモチーフなども特徴的です。

また、平松譲が風景画以外に好んだとされるのが静物画や人物画です。特に初期の作品には静物や女性を題材したものが多く見られます。窓辺にて安らぐ着衣の女性というシチュエーションを中心に、さまざまな静物をあしらった絵を描きました。

平松譲が参加した白日会

平松譲は、1944年に白日会の会員となります。それまでは、白日会の主催する展覧会に多数の作品を出品していました。

白日会とは、関東大震災による被害から、美術の復興を目的として創立された団体です。創立メンバーには、中沢弘光や川島理一郎などの画家が集まりました。現在に至るまで「白日会展」と呼ばれる展覧会を開いています。

平松譲は、創立者の一人である中沢弘光を師と仰ぎました。著名な洋画家である中沢弘光の指導により、さらに画力を磨いていったとされています。

平松譲の描いた数々の作品

「TOKYO」「東京湾岸」「南窓」「三宅島の春」「南風わたる」「ノルマンディー古寺」「三宅島溶岸地帯」「彫刻の群像」「丘の美術館」「公園」「樹下」「床上静物」「石膏のある静物」「シャルトルの教会」「はまひるがお咲く」など、数多くの洋画を描いてきた平松譲。日展や白日展といった展覧会に出品して、受賞した作品も少なくありません。特に、代表的な作品といわれているのが、1991年に日本芸術院賞を獲得した「TOKYO」です。東京のシンボルともいえる東京タワーを、平松譲の視点から鮮やかに描いた作品が、高い評価を得ました。

ほかにも、平松譲は多岐にわたるモチーフを描いてきました。ご自宅に所有している平松譲の洋画があれば、ぜひ買取査定に出してみてはいかがでしょうか。洋画の買取実績が豊富な「なんぼや」なら、お持ちいただいた作品を適正価格で高価買取します。

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