全国各地の民家を描き続けた林喜市郎|戦後に開始された作家活動
林喜市郎は、温かみの感じられる全国各地の民家を描き続けた洋画家です。作家としての活動は、戦後になってから盛んに展開されました。今回は、戦後に洋画家として活躍した林喜市郎の主な経歴や作品に見られる特徴などについてご紹介します。
戦後に活躍した洋画家
林喜市郎は、戦後に活躍し始めた洋画家です。作品の多くは
、民家をモチーフに選んでいます。
出身地は千葉県野田市であり、1919年に生まれました。主な経歴をたどると、1970年に全国勤労者美術展で都知事賞を受けるとともに一水会で入選しています。
一水会には、以後も4回の入選を果たしました。また1970年代半ばに日伯現代美術展で入選し、第1回林喜市郎展を開きます。その後、個展は松坂屋、東武百貨店、そごうや東急で数回にわたり開催しています。
林喜市郎は作品制作を進めながら描き上がった絵を発表し、個展などを通して絵の才能を認められました。戦後から晩年にかけて生み出された数々の名画は、いまも多くの人から愛されています。
さまざまな民家を描写
林喜市郎が描いた作品の多くは、民家をモチーフに選んでいる傾向があります。
一例として都内にある画廊の収蔵品を挙げると、サイトに掲載されている20点ほどの作品にはいずれも民家が描かれています。大半は、数軒の家屋が画面全体を占めるレイアウトです。
タイトルには、上越、信州、上州、飛騨、飯綱、忍野、東北、会津などの地方・地域名が並びます。季節を示す言葉には春、初夏、秋や晩秋があり、「桃花の咲く」や「残雪」も季節感が伝わってくる表現です。
これらの作品を見る限り、林喜市郎はさまざま民家を描く目的で全国各地を訪れていたと考えられます。地域によっては、季節の移り変わりを描くため1年のうちに何度となく足を運んだのでしょう。
特に好んで描いた飛騨白川郷
林喜市郎が特に好んで描いたと考えられる題材は、岐阜県にある飛騨白川郷です。
飛騨白川郷は、合掌造りの民家で広く知られています。合掌造りは、その名の通り合掌を思わせる山形の屋根が特徴的です。この形は、積雪量が多いうえ雪も重い白川の自然条件に適した構造といわれています。
先述した画廊の収蔵品のうち、飛騨白川郷を描いている絵は「飛騨白川郷」や「飛騨白川郷・合掌造り「晩秋」」です。「飛騨白川郷」の1点は草が青々と茂り、ほかの1点は雪が残り季節が異なると分かります。
林喜市郎は、飛騨白川郷の合掌造りを気に入り一年を通じて描き続けたと考えられます。民家の温かみが感じられる洋画は、買取でも高い評価を得られるでしょう。林喜市郎は人気も高いことから買取市場でも高価取引されています。「なんぼや」では最新の相場を使って永楽の焼物をしっかりと査定し。高値での買取を行っています。まずはお気軽にお問い合わせください。