白鳥映雪の日本画|伝統の美人画で日本画壇の最高峰へ
白鳥映雪(しらとりえいせつ)は、長野県出身の日本画家です。伊東深水から受け継いだ美人画の伝統を世に広め、画家として最高の名誉である勲三等瑞宝章を受章しました。今回は、日本画壇の最高峰に君臨した画家、白鳥映雪についてご紹介します。
努力の画家・白鳥映雪
白鳥映雪は、1912年、長野県北佐久郡大里村(現・小諸市)に生まれます。生後間もなく母を、8歳のころに父を相次いで亡くし、継母に育てられました。小学校時代に歌川派浮世絵の正統を継ぐ伊東深水の美人画に感銘を受け、画家を目指し始めます。そして20歳のころ、家族の反対を押し切って上京、伊東深水の門下生となりました。しかし生活は苦しく、歯科助手などの仕事をこなしながら夜間は川端画学校に通うなど、苦労しながら画力をつけていきます。そしてついに1943年、31歳のころ第6回文展で「生家」が初入選を果たしたのです。
終戦後に小諸に帰郷すると、師である伊東深水も小諸に疎開していたため、行動を共にして制作を手伝いながら指導を仰ぎました。1950年には、戦後の日本の復興を願い制作した「立秋」が日展で特選と白寿賞を受賞。画家としての腕を認めた師・伊東深水は、美術研究団体・日月社の立ち上げに映雪を加えます。映雪は、名実ともに有名画家の仲間入りを果たしたのです。その後も受賞や個展を繰り返し、2003年に勲三等瑞宝章を受章します。90歳のころ、脳梗塞で右手が不自由になってしまいますが、左手を使い94歳で亡くなるまで絵を描き続けました。
白鳥映雪の代表作
白鳥映雪は、美人画の伝統を伊東深水より学び、気品あふれる独自の美人画を完成させました。映雪は、深水の美人画に亡き母の面影を感じ、画家になることを決意したといいます。そんな映雪の描く美人画の女性は皆、凛とした表情が魅力の格調高い美を感じさせる美しい作品ばかりです。
また、映雪は能楽を題材にした絵も多く残しており、1998年に描いた「羽衣」は、首相官邸に飾られ、「かつてこれほどまでに能楽の世界を見事に描いた作品はない」と大絶賛を浴びました。その翌年1999年に発表した代表作「菊慈童」は、恩賜賞・日本芸術院賞を受賞した力作です。白鳥芸術の最高峰といわれ、高い評価を受けています。
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