裏千家十四代 碩叟宗室 淡々斎|多彩な才能に恵まれた近代の茶人

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碩叟宗室 淡々斎(せきそうそうしつ たんたんさい)は、裏千家家元らしい詫び数寄の名品を多く遺しています。類い希な芸術的センス、自由な発想、書画や漢詩にも恵まれた豊かな才能は、茶道具の完成度を高め可能性を広げる要因にもなりました。今回は、明治から昭和にかけて活躍した碩叟宗室 淡々斎の功績や好み物、作品の特徴についてご紹介します。

明治・大正・昭和を生き抜いた裏千家家元

碩叟宗室 淡々斎(1893~1964)は、裏千家十三代鉄中宗室の長男として明治26年に生まれました。父の死後、家督を継承して十四代碩叟宗室を名乗ります。一般的には淡々斎の名で通っていますが、無限斎という別の号名も持っていました。

明治・大正・昭和と激動の時代を生き抜いた茶人。世情不安にあるなかで、神社や寺への献茶・供茶、学校現場における茶道教育の導入、茶道会館の建設、海外普及活動などを通して茶道の発展に貢献します。社団法人茶道裏千家淡交会を結成し、「今日庵」財団法人化へ布石を打ったことも大きな功績です。

北野天満宮献茶の儀で作らせた「楽焼青磁」

碩叟宗室が関わった作品で特に有名なのが、北野天満宮献茶の儀のために作らせた「楽焼青磁の花入」です。今日庵伝来の本歌の写しとなった作品で、端正な美しさに特徴があります。詫びの心を大事にしつつ、既存の枠にとらわれない自由な発想で茶道具の持つ可能性を追求した精神は、華と静謐が同居した茶室にもよく現れています。

知と教養、多彩な才が生んだ名品の数々

器用で、多彩な才能にも恵まれた碩叟宗室。茶道以外にも、書画や能、唄、和歌などさまざまな芸術分野に精通し、その感性とセンスは黒楽平茶碗や赤楽とった作品製作にも生かされています。

古典や漢詩に通じたことは、傑作と伝わる「梅月棗」でも証明しています。これは中国宋代の詩人、林和靖の漢詩から着想を得て、十職共同で作られた名品です。このように碩叟宗室は知性と教養をいかんなく発揮しながら、豊かな感性と美的センスでたくさんの名作を世に送り出しました。今日においてもすぐれた作品群は多くの人々の垂涎の的となっています。

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