名越浄味の茶道具|織田信長が認めた天下一の茶釜とは?
“京釜”の早創早草にかかわり、あの織田信長に仕えた茶釜師「名越浄味(なごしじょうみ)」。同氏の作品は希少性が高く、真作は高値で取り引きされています。今回は、織田信長が認めた天下一の茶釜師、名越浄味の経歴や作風について解説します。
桃山~江戸を生きた茶釜の名工・名越浄味とは?
名越浄味は、安土桃山から江戸時代初期の茶釜師。当時は「名越三昌(なごしみつまさ)」、「弥右衛門(やえもん)」などの名を使っていましたが、号名である浄味が代々受け継がれていきました。後世において浄味を名乗る子孫がいたため、初代・名越浄味は“古浄味”と呼ばれます。
京都の名釜師である父、「名越善正(なごしぜんせい)」の長男として生まれた浄味。名越家の11代目ですが、幼少期の生活ぶりなどは、あまり語られていません。詳しい生年も不明で、遺品となる作品もほとんど残されていないのです。唯一、名越家そのものが、茶釜師最古の家系であることがわかっています。
浄味が活躍したのは、1580年頃の天正期です。「京都三条釜座」の鋳物師棟梁として腕を振るい、戦国の大武将「織田信長」に仕えました。京都の釜師である「西村道仁(にしむらどうにん)」とともに、信長から「天下一」の号を授かった名工の1人です。
名越浄味らが築いた「京釜」とは?
文禄・慶長(1592~1615)の頃、「西村道仁」とともに“京釜”の草創早草に携わり、名越家の礎を築いたった名越浄味。“京釜”とは、先述した京都三条釜座(現:府内南北・釜座通り)で制作された茶釜の総称です。当時、京都は茶道具の一大生産・製造地でした。
同氏が手がけた茶釜は、戦国時代の大名である「小堀政一(こぼりまさかず)」、陶芸家・書家の「本阿弥光悦(ほなみほんあみ こうえつ)」らに好まれたとのことです。
現存数が少ない名越浄味の茶道具
名越浄味は生前、多数の茶道具を制作しています。ただし、伝世品はほとんど残されていないため、大変貴重な品です。
名越浄味の作品は、“わびさび”を表現するために、いびつな形状なのが特徴。すべての作品が同じ作風とは限りませんが、伝世品の傾向からそう判断できます。
また、箱書きの有無も重要です。名越浄味本人の銘、あるいは弟子の箱書きがある場合、真作の可能性が高くなります。心当たりの茶釜をお持ちの方は、一度鑑定士に見てもらうことをおすすめします。
名越浄味の茶道具は「なんぼや」が買取します
名越浄味の茶道具は伝世品が少なく、贋作も一定数存在します。作品の真贋を見極めるには、専門知識を有するプロに任せるのがベストです。>茶道具や骨董品の買取は、専属の鑑定士が所属する「なんぼや」にご依頼ください。大切なお品の真贋を見極め、本当の価値をお伝えいたします。