モード界の牽引者、クリスチャン・ディオール!
こんにちは!なん子です!
ロシアの首都モスクワにある「赤の広場」で今年7月にクリスチャン・ディオールのファッションショーが開かれました。
隣接する百貨店の創業120周年を記念したものですが、世界を揺るがすような歴史上の出来事が何度も起こっている「赤の広場」でのショーというのはさすがに初めての試みでした。
世界遺産にも登録されているこの広場には、当日数百人が集まったといいます。ロシアはこのクリスチャン・ディオールの売り上げが世界的に見ても上位を占めているのですから…。
ドレスやジャケットなどたくさんの2013~14年秋冬コレクションに観客は魅入られました。
そんな話題を振りまく「クリスチャン・ディオール」の世界に、わたくしなん子と共にいざないましょう。
モード界の牽引者 クリスチャン・ディオール
美しいシルエットを次々に取り込んだ
1946年にパリにてオートクチュールのコレクションでデビューしたクリスチャン・ディオール。
48年、ジグザグライン、50年、バーティカルライン、51年、オーバルライン、52年、シニュアスライン、53年、チューリップライン、54年、Hライン、55年、Aライン・Yライン、56年、アローラインなど、常に新しいシルエットを提案し、50年代のファッションを華々しく牽引しました。
中でも、1947年春夏、パリコレクションにデビューしたディオールはペチコートで膨らませた曲線を強調し、細く絞ったウエスト、くるぶしに届くロングスカートスタイルの「花冠ライン」で初めて注目されました。
「ハーパース・バザー」の編集長カーメル・スノウは、「これはまさにニュー・ルックね」と、そのシルエットの美しさに驚きました。これが「ニュー・ルック」と呼ばれたスタイル。
モード界に新風を吹き込んだのでした。
私たちがよく身につけているAラインのチュニックやワンピース。そのラインの美しさとバランス具合でファッション性が決まります。「Aライン」と普通に使っている言葉が実は60年近くも前にディオールから生まれたものだったのですね。
戦後の女性を「オシャレ」開放に
クリスチャン ディオールの「ニュー・ルック」。実は女性解放史の中で時代に逆行したものでした。
16世紀のコルセットから女性が開放されたというのに、再び閉じ込めようとする動きだったからです。
また、当時大戦のあおりを受けていたヨーロッパは物資不足が続き、ニュー・ルックのように贅沢に生地を使用することは難しかったはずです。
しかし、戦争が終わり、平和を取り戻す方向へ向かっている世界の中で、女性に「オシャレ」と女らしさを取り戻すよう働きかけた動きは、世界のモード業界に活気を与えることとなった点で注目されます。
デザインはピカソの絵画にも通じる!?
ディオールはもともと芸術に強い興味を持っていました。彼は、まだ20代という若さで、親の出資による小さなアートギャラリーを持っていたことがあるのです。
パブロ・ピカソやマックス・ジャコブなどの絵を置いていたといいますから、芸術性の高さがファッションのデザインにも生かされていたに違いありません。
若くしてディオールがアートギャラリーにピカソの絵を置いていたその頃、ピカソは祖国スペインからパリに定住して道化師や曲芸師の絵を描いていました。
わずか2年で閉鎖されたそのアートギャラリーにはそんな絵画が展示されていたのでしょうか。
まとめ
シルエットは服選びや組み合わせの際に重要な要素となります。クリスチャン ディオールのシルエット技術を今後のモードの参考にしてみたいものですね。
現在ブランド品の買取相場が上がっています
写真を撮って送るだけ、店舗に行く前に買取金額が無料で分かります。