「ジミーチュウ」、華麗なファッションの世界

「ジミーチュウ」、華麗なファッションの世界

なん子紹介

中国系マレーシア人が自身の名を冠して世界的なファッションブランドに育てたのが、英国発祥のジミーチュウ:Jimmy Chooです。
創業してまだ20年足らずという新しいブランドではありますが、既成概念にとらわれない斬新で先鋭的なデザインのアイテムを連発しています。短期間でトップブランドに成長した21世紀のニューブランド、ジミーチュウの魅力の源泉をたどってみましょう。

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「ジミーチュウ」、華麗なファッションの世界

nanko_happy夢見る華僑出身の少年

バッグや靴を中心に英国屈指の人気ファッションブランドとなったジミーチュウは、そのブランド名で分かるように、創業者は中国・漢民族の血を引くマレーシア出身の男性デザイナーです。1952年、ジミー・チュウ(周仰杰)は華僑(中国出身者)が多く居住するマレーシアのペナン州で靴職人の家庭に生まれました。世界中の主要都市に散在している華僑は、努力家で独立心を持った人物が多いといわれており、ジミーもその例外ではありませんでした。

「東洋の真珠」と謳われるほど美しい景観で有名なペナン島を擁するマレーシアのペナン州は、昔から欧米からの観光客やビジネスマンなどが往来する国際的なエリアでもありました。幼い頃から実家の靴工房で靴作りの現場を見てきたジミー少年は、11歳の時に初めて自作の靴を完成させるほどの才能を持っていました。そして、いつの日か自分の作った靴を持って世界を飛び回りたいという夢を抱くようになります。

nanko_question大志を抱いてロンドンへ

成人して実家の靴工房で働いていたジミー青年は、シューズデザイナーとしての世界的名声を得るにはヨーロッパで一から勉強する必要があると考え、意を決して英国への移住を決断します。そして有名な芸術家やデザイナーを数多く輩出した名門のロンドン芸術大学に入学します。
貧乏な移民の学生であったジミーはアルバイトをしながら苦労して学費を稼ぎ、1983年に見事大学を卒業します。このとき、ジミーはすでに31歳になっていました。

シューズデザイナーとして英国の靴工房で働いていたジミーの運命を変えた人物が、世界的なファッション雑誌「ヴォーグ」の編集者・タマラ・メロン女史でした。ジミーのデザインによるシューズコレクションを見てインスピレーションを感じた彼女は、早速ジミーに連絡をとり、二人は運命の出会いを果たします。
ファッション界で長年培ってきたタマラの眼力には、ジミーこそ新世代が求めるレザー製品を創造できる才能であると確信したのでした。

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なん子happy二人三脚でのブランド創業

1996年にジミーとタマラは共同でジミーチュウブランドの会社を創立します。ヴォーグ誌の腕利き編集者だけあって、芸能界に多くの知人があったタマラは、スターたちにジミーチュウブランドの靴を提供し、彼らが宣伝に協力してくれたこともあって、たちまちヨーロッパのセレブ層にブランドが浸透していきます。
そして英国王室でも重用されるようになり、短期間でブランド価値を高めることに成功したのです。

ジミーチュウブランドの靴は、デザインが斬新であるだけでなく、歩きやすく疲れないという機能性に優れた特性を持っていたことから、多くのセレブたちから「奇跡的なフィット感」という高い評価を受けました。
これは、ジミーが幼年期から磨きあげた技術のたまものでした。こうして、シューズブランドとして成功したジミーチュウは、やがて靴以外にもバッグや服飾・アクセサリー・香水などの分野にも進出し、現在では老舗の有名ブランドと肩を並べるほどの知名度を獲得しています。

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まとめ
ジミーチュウは、現在では英国をはじめとするヨーロッパ全土にその名声を轟かせ、米国でも人気が高く、日本でも表参道ヒルズに専門店が出店しており、すでに有名ブランドの仲間入りを果たしています。

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